ニラニスタ発・蹴球思案処

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カタールW杯 03

カタールW杯 03

 

11月20日に開幕したカタールワールドカップは、ベスト8が出そろった。過密日程で開催されている今大会は、グループリーグが終わって間を置かずにラウンド16に突入した。観ている方も息をつく暇もなく、テレビの前で、パソコンの前で試合の行方を追うことになった。2週間と3日(17日)連続で、毎日2試合を見続けることとなった。朝4時に起きて1試合、夜に1試合取り憑かれたように、サッカーを観た。4年に1回なのでそれもありかなと思える。素晴らしい試合、まあまあだったと思ってしまう試合、期待通りの選手、期待外れの選手、新しく出てくる選手、今回が最後のワードカップになる選手と、サッカーの奥深さを感じている。普段は同じチームに在籍している選手が、代表のユニを着てガチガチとやり合っている姿は、ワクワクする。

4年前のロシアワールドカップに比べ、多角的な情報が速度をアップさせて発信されている。ワールドカップというとひと昔前までは、新しい戦術の見本市みたいなところがあったけれど、現在は戦術のグローバリゼーションが進化して、どの国も(大げさに言うと)画一的なサッカーのようにも見て取れる。守備のおいてはそれがとても顕著である。

コレクティブな守備の構築コンセプトから、コンパクトさを保ち、それに伴うラインコントロールと制限をかけるボールへのアプローチはは当たり前となっている。守備ブロックに入る前のプレッシングは相手陣地でも積極的に行われ、ボールが敵に渡った時のトラジションは、前大会よりも意識が高く、スピードも恐ろしく上がっている。高度な守備戦術は標準化されてしまった感がある。

そんな中でも超個人的な印象に残る試合を挙げろと言われれば、アルゼンチン-メキシコを1番に挙げる。もちろんその試合はベストゲームでも何でもない。それでもなお、僕の心の残る試合と言えば、アルゼンチン-メキシコである。現代のサッカー戦術の最先端でもなければ、うっとりするようなプレーも少ない。ディフェンスラインは一応は揃っているけれど、中盤の守備ブロックはほとんどない。それでも相手とボールへのアプローチは連動していなくても強く激しい。サッカーへの嗜好の差はあるにせよ、男臭く、激しいデュエルとボールへの執着心はヨーロッパのサッカーのはないものであると感じる。生まれ育った国の気質とメンタリティーがたっぷりと感じることのできる試合だった。あっさり醤油ではなく、こってり豚骨といったところである。ヨーロッパのリーグを見ることに慣れてしまった人間には、新鮮かつこれもサッカーだと思い直すことができる試合だったような気がする。

ラウンド8の試合は、これからの未来のサッカーを指し示すサッカーとなるのか。指し示さなくても暗示させるようなサッカーを展開するのか。ポジェッションのスペインが時代の流れで消えてしまったのはショックでもあり、寂しくもある。現代のサッカーのフィールドにおいてスペースが残されているのは、GKとDFの広大な空間であるような気がする。そこを堅守速攻の縦に速い潮流になるのか、フィジカル重視の個の力で打開するのか、興味深いところである。もう少しの間、ワールドカップを愉しみたい。