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目にした記事22-06 準々決勝敗退

目にした記事22-06 準々決勝敗退

 

【山梨日々新聞 22.10.27 記事】

今年度は韮高の記事を目にする事が少なかった。注目される試合までたどり着けなかったことだけでなく、他校の注目に値する躍進、韮高の試合より熱くなる試合を繰り広げたことも要因だった。

記事にもある通り、帝京三は選手権過去3年間、準々決勝で涙を流してきた。対戦相手は全て山梨学院だった。今大会、準々決勝で韮高と対戦するにあたり、実力は自分たちの方が上だとは微塵も思わず、並々ならぬ覚悟で臨んできた。勝つためのサッカーに徹した。サイドバックの攻撃参加はなく、得意のサイドチェンジも封印した。早い時間帯にリードしたので、リスクを冒さず、完璧で安定した守備ラインを崩さず、冷静に慎重に試合を運んだ。中盤から前では、オーバーロードの戦術をとってきたように思えた。勝利への近道はない。帝京三は韮高がやらなければならないことを、試合を通して地道にやり続けた。

試合はいくつもの分水嶺があった。ボールの転がる軌道は帝京三へ味方した。

韮高は先制点のチャンスがあった。逆に0-1にされてしまった。それはそれで仕方がない。

飲水タイム前のショートカウンターから、同点に追いつくシュートはゴールの枠を空しくも外れた。

前半終了前の韮高のCK後、50m以上のドリブルを許し、帝京三のCKへとあっという間に切り替わった。その後の混戦からの失点。

後半立ち上がり早々の決定機、韮高のファーストシュートはゴールを割ることはなかった。

後半終了間際にはクロスバーに当たりノーゴール。

勝負の分かれ目は試合中、多くはないにせよ転がっていた。勝つことの難しさ、ここ一番の勝負の時に決めきれる強さ、体を張れる強さは、悔しいけれど帝京三の方が上だった。

今年の韮高もまた、自分たちが望む未来へ到達することはできなかった。結果をしっかりと受け入れるしか選択肢はない。サッカーには必ず勝者と敗者がいるものなので、無理して前向きにならなくても良い。どのようにこの敗戦を、成長のエネルギーとして変換してくのかを考えることである。