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選手権県予選 準々決勝 韮崎-帝京三

選手権県予選 準々決勝 韮崎-帝京三

 

結果

10月29日 土 10:30キックオフ 韮崎中央公園陸上G

韮 崎 0-2(0-2)帝京三

 

 

第101回全国高校サッカー選手権大会山梨県大会準々決勝帝京三戦で、韮高は敗退した。この試合に勝った方が、選手権に行けると思っていたので、かなり残念極まりない。またも帝京三の前に夢を絶たれたこと、中央公園で負けたことは、腹の底から悔しい。なにより、すべてを出し切っての敗戦ではなかったことに大きな後悔が残る。期待していた選手は期待通りの、または期待以上のプレーが見られなかったし、がむしゃらさはピッチから伝わってこなかった、もっとやれるはずなのに、試合終了のホイッスルが響いた後なんかは、次があるような雰囲気だった。立ち上がりからその雰囲気は醸し出されていて、負けたら終わりの選手権の緊張感はなかった。この0-2の敗戦は、高校サッカー生活の全てを出し切った、胸を張れるような試合だったのだろうか。

 

都合の良い試合の見方をすれば、勝ってもおかしくはない試合だった。決定機は明らかに韮高の方があった。というより帝京三は決定機はなかった。帝京三のシュートらしいシュートはなかった。あったとすれば、後半のGKのフィードがFWに当たり、そのボールがゴールをギリギリ外れたくらいだった(過去に帝三戦で同じ状況で失点したことがあったので、歴史は繰り返されると思った)。

失点はフリーキックコーナーキックのセットプレーからだった。ファーストで跳ね返すことが出来ず、セカンドでも掻き出すことが出来ず、混戦からの失点だった。帝三からすれば、自らが意図したセットプレーとは程遠いシーンからの得点でラッキーだったと思われる。

帝京三は韮高との試合に当たり、自分たちの本来のサッカーをやってこなかった。相手に合わせてサッカーをすることが帝京三のサッカーであるならば、それは正解だけれど、韮高仕様とでもいうのか、念入りなスカウティングから勝利のための試合運びとプレーを実践してきた。

韮高が気をつけなければならないことは、大きく2つあったと思う。それは早い時間帯の失点とセットプレーからの失点をしないことである。立ち上がりから飲水タイムまでの我慢の時間、不用意なファールをしないことは、必達だった。我慢強い守備をして、しつこく粘り強い守備を前半続ければ、相手もあせってくるし、逆にチャンスが必ずやってくる。前がかりになった帝三の背後を狙ってカウンターからのチャンスが絶対にあるはずだった。けれど、そのプランは完全に崩されてしまった。前半12分のフリーキックからの失点、ラスト5分前のコーナーキックからの失点は致命的だった。帝京三はリスクを冒すことなく2-0で前半を折り返し、後半は危なげない鉄壁のディフェンスを貫徹した。

韮高は前後半を通じて、シュートチャンスがあり、ゴールも奪える可能性は帝京三より多かったと思う。シュートが入らなかっただけで、少ないながらも、何であのシュートが入らない的な、惜しすぎるシュートがあった。試合終了前の左クロスからのヘディングシュートはクロスバーに当たり枠を外れた。シュートチャンスから考えると、3-1で勝った試合だった。その夢物語は、0-2という現実的な敗戦の前では、何も役に立たない。

運か実力か、運も実力の内か、運は実力を超えるのか。サッカーは運と偶然に支配されているのか、運と偶然が満たされた中に存在しているのか。敗戦後、浮かんでは消える雑念が続く試合内容だった。

 

 

我々が歴史から学ぶことは

人間は決して歴史から学ばないということだ

ヘーゲル