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PK 運命 選手権

PK 運命 選手権

 

第100回全国高校サッカー選手権山梨県大会の決勝で、韮高はPK戦の末に敗れた。多くの歴史を積み重ね100回を迎えた選手権大会は、考えれば考えるほど重く、貴重である。

運命について誰でも1度は考える時がある。人の意志や力を超えたところに存在する運命。100回大会の選手権の県代表を決定する試合は、PKでの決着となった。5年ぶりの決勝の舞台、13年ぶりの35回目の出場を狙う韮高は、4月に監督が交代した。新監督は韮高OBである。小泉監督は高校時代はキャプテンを務めた。高校最後の選手権は第73回大会だった。

平成6年(1994)緑ヶ丘陸上競技場で行われた73回大会選手権決勝の相手は帝京三だった。年代別日本代表に選ばれていた中田英寿を中心として、2年連続で選手権出場を狙っていた韮高は、前半10分、GKの脇を抜けたシュートが決まり先制を許してしまった。前半34分に韮高は、見事すぎるボレーシュートが決まり、1-1に追いついた。後半に韮高が逆転する。ボールと一緒に選手がゴールに転がった執念のゴールで2-1。韮高の全国出場が見えたロスタイムに、地を這うロングシュートを決められてしまい2-2の同点に追いつかれてしまった。延長は0-0でPK戦での決着となった。両校1人がGKにセービングされ、最終キッカーの韮高の選手が大きく枠を外して帝京三が全国切符を手にした。

 

27年の歳月が流れ、同じ舞台に監督として立った。巡り合わせとか運命のいたずらだとか、言い方はいろいろとあるけれど、県代表を決める決勝は同じくPK戦となった。就任1年目、選手権の決勝の舞台に立ち、高校時代と同じく、PKでの決着となった時の監督の気持ちはどのようなものだったのだろうと思う。

歴史は繰り返すのか、新しい歴史を作るのか、選手権の決勝のPK決着は25年ぶりでもあった(75回大会、帝京三相手に、8人目までもつれ込んだPKを韮高が制した)。

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過酷な運命や出来事は、それに耐えられることができる人にだけ訪れるものだと昔から言われている。誰もがつらい経験をするものではない。苦しく、つらく、悲しい経験ができる人は選ばれた人である。厳しい現実を受け入れる強い気持ちを持った人であり、その現実に立ち向かって行くことができる勇気を持った人である。

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もう少しで手が届くところまでたどり着いた。韮高が全国選手権に1番近づいた大会にしてはいけない。次の年も、その次の年も連続して韮高の緑の強さを誇示していかなければならない。選手権、PK敗戦からのスタートは、新しい歴史を作る出発である。