ニラニスタ発・蹴球思案処

蹴辞逍遥・晴蹴雨蹴

ルーキーリーグ 韮 崎-山梨学院

ルーキーリーグ 韮 崎-山梨学院

 

結果

7月16日 土 9:00キックオフ 御勅使G

韮 崎 1-4(0-1)山梨学院

 

ルーキーリーグの試合を始めて観戦した。前半しか見ることができなかった。7月に入って、横浜創英とのルーキーリーグは1-4(0-2)で負け、山梨学院との試合も1-4の同スコアでの敗戦となった。

スコアだけを見れば、韮高は暁星に0-1で敗れた。山梨学院は暁星に15-2で勝っている。韮崎-山梨学院とのスコア1-4だったので、善戦したといったところだろうか。

Bリーグの首位は全勝で突き進む山梨学院、勝ち点15。最下位は全敗の韮高、勝ち点0である。全敗街道まっしぐらである。

情けなさと悲しさが残る結果が続く。冷静に考えて、現在の実力が反映されたものであることは疑いようはない。大量複数失点での敗戦は、チームとして組織的守備が機能していないのか、後半に失点を重ねるということは、単なる集中力の欠如なのか、試合を諦めてしまっているのか、選手個々のモチベーションの低下からくる負のスパイラルが招く失点なのか、複雑である。相手が良いわけではなく、自分たちの問題でやられているのは、傷口が深い。

明らかなのは、苦しい時に踏ん張れることのできる選手が少ない事、やらなければいけない時に力を発揮できないこと、悪い流れをもう一度良い流れへと変えてやるという気持ちの熱い選手がいないことである。

先制点を許せば、ズルズルと流れるままに試合をして、先制をすれば気持ちが上向いているような試合をするようならば、小学生と一緒である。相手より技術で劣るなら、頭を使うしかない。考える頭もなかったら、走るしかない。走る事も出来なかったら、せめて闘う気持ちだけは前面に押し出したい。

コロナの影響なのか、試合にビビっているのか、大きな声を出す選手は見ることができず、ファイタータイプの選手も見当たらなかった。どこかおとなしく、勝っているのか負けているのかさえ判断がつきにくいプレーであった。

劣等感やくやしさをバネにプレーをすることは、時に必要である。なぜならばへたくそだからである。今よりも強く、上手くなるためには、変なプライドや美意識を棄てて、がむしゃらに泥臭くボールに喰らいつくプレーが求められる。「セカンドボールを拾おう」ではなく、「セカンドボールは俺のものだ」くらいの気持ちや、明日から試合ができない(現実にコロナでそうなるかもしれない)という切迫感で試合に臨まなければ、ただ試合をやっているだけになってしまう。

苦しさを乗り越えた先にあるものを考えたならば、その先にある喜びを味わいたいのならば、苦しまなければならない。サッカーを愉しめということは、苦しむ自分を愉しめということでもある。