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インターハイ 準決勝 韮 崎-駿台甲府 2

インターハイ 準決勝 韮 崎-駿台甲府

 

普通に考えても、よくよく思案しても、韮高のこれからの歴史のために負けてはいけない試合だった。駿台甲府は新興勢力である。令和の現在まで伝統を引き継いでいる戦前、戦後のライバル甲府商、甲府工。昭和後期の東海甲府日大明誠。平成の帝京三、航空、山梨学院と山梨のサッカーの100年の変遷がある。

令和になって歴史がまた動いた。山梨県内での初のベスト4を駿台甲府が勝ち取った。駿台甲府は本格的にサッカーに力を入れてから、ベスト4に登り詰めるまで12年の歳月を費やした。さらに歴史的なことは、山梨県のサッカーをけん引してきた韮高を破っての決勝進出である。試合後の駿台甲府は、まるで優勝をしたかのような雰囲気だった。韮高が惨めにもお膳立てをしてしまい、歴史を動かすお手伝いをした。本来ならば、「駿台はまだ30年はベスト4は早いぞ」的に、徹底的に退けなければならなかった。歴史が動いたというのはそれだけではない。平成の時代の私学は、選手のほとんどが県外からの越境選手だった。県内産韮高が負けてしまっても、めんどうくさい言い訳ができた。駿台甲府は県内の選手で勝ち上がった。このことはとてつもなく大きい。韮高で勝負しなくても、私学3強+明誠にまっとうに闘えることが証明できたからだ。県内の志望校を選択する有望な選手たちに大きな選択肢ができた。近い将来、選手権4強は、駿台甲府日大明誠甲府商が定番となり、他校が争うことも想定される。韮高にとっては、将来を鑑みてそれくらい重要な試合だった。もちろん選手たちはそんなことは1ミリも思っていないのは分かっていた。伝統をつなぐということを浅はかに考えているのは仕方がない。普通に闘って勝てば良かったのだから。この試合は、これからの引き金になり、選手権でその銃口は韮高に向けられていることを覚悟しなければならない。勢力図の再編が大きく変わる試合となってしまった。駿台甲府にとって、韮高を破っての決勝進出は、価値のある勝利だった(まだ韮高を破ってとてつもなく喜んでくれるという価値のある高校である)。また駿台甲府に対しては、韮高は歴史上3敗目を喫した。16年に初めての敗戦、19年のユースリーグでも敗戦。2つはいずれもユースリーグだった。今回の敗戦は全国につながるインターハイでの敗戦である。大きく重みのある屈辱の敗戦であることは疑いようがない。

 

試合内容に関しては、相手の3-4-3のシステムに対して、いつものミラーゲームができない状況で、どのようにシステムのデメリットを突いていくかが、選手たちの思考の深さが試された。3バックと4バックではディフェンスの守備範囲が違う。ピッチ横幅80mを3人で守ることは4バックに比べ大きな負荷がかかる。3バックのライン間は4バックのライン間と比べ、大きなスペースが出来る。スペースを活かす動き、スペースを作る動きによって、3バックは大きく揺さぶられる。その原動力はサイドハーフである。韮高はそのサイドハーフがうまく機能しなかった。また相手はワイドにポジションを取る3トップだったので、韮高のサイドバックのオーバーラップもけん制していた。リスクを冒したチャレンジは韮高のサイドバックはあまりしない。ボールを起点にして韮高は攻撃6人、駿台の守備は8人となるので、局面のギャップをどのようにして作り出すかは、試合前から準備が出来ていたはずである。後半においては一方的な攻撃をしていた。駿台は真ん中をガチガチに固めていたので、サイドにおびき寄せたり、前につり出したりする攻撃が必要だった。何と言っても後半は韮高のGKが3回しかボールに触っていないくらいの状態だったので、攻撃のバリエーションはいろいろとチャレンジできたのではないかと思う。「ゲーム中に起こる状況を解決するための、個人、組織による知的活動」が駿台ディフェンスを上回れなかったことが敗因である。

 

 

韮崎中央公園陸上では、20年の選手権での甲府商戦に続き、2連敗となった。その前までは山梨学院に県総体、インハイと2連勝した縁起の良いピッチだった。ほとんどホームグラウンドに近い状況での敗戦は、哀しい。学院、帝京三、航空と同様、駿台にも明日を考えないくらいの全力さで戦う姿勢がこれからは求められる。自ら巻いた種は、自ら収穫しなければならない。選手たちは、100年の歴史の中の1年ではある。ちょっとした思慮さえあれば、もっと現状を把握してしっかりと闘えると思う。

 

 

失敗したのちに

反省のない再出発はありえない