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キリンカップ

キリンカップ

 

2016年以来、6年ぶりにキリンカップが開催される。近年は、キリンカップキリンチャレンジカップと冠スポンサーの大会が2つある。気にする人は気にするし、どちらでもいい人は気にしない。僕はジャパンカップの流れを引くキリンカップが昔から好きである。何が好きなのかと言うと、開催時期にある。初夏の文句のつけようのない青空の下で、ビールを飲みながらサッカーを観ることは、人生の内の幸せの1つである。日本代表そのものは好きでも嫌いでもなく、この季節のサッカー観戦が大好きなだけである。「休日の天気がよい日に、サッカーでも観に行こう」と気軽にスタジアムに向かうことができる感じが良い(良かった)。今の時代は日本代表の試合のチケットが取れないほどの人気になることはうれしいことだけど、気軽に観戦に行けなくなったことはちょっと残念である。

 

キリンカップの日本代表の試合の中で、記憶に残る試合がある。1991年のキリンカップである。中学、高校と様々な大会で目にしていて、身近な存在に感じていた北澤がフル代表に選ばれていた。国立競技場でのトットナム戦で北澤が先制ゴールを奪った。その時の代表のユニホームカラーは赤だった。

その当時のキリンカップは日本代表を応援するというより、対戦相手のサッカーが観たいというファンも多かった。ブラジルからバスコ・ダ・ガマが出場していた。日本代表対トットナム・ホットスパーの試合前に、バスコ・ダ・ガマ対タイ代表の試合をした。Jリーグもない時代なので、席は全席自由でバスコ・ダ・ガマの試合はガラガラで、バスコ・ダ・ガマのブラジル人サポーターと仲良くなり、一緒にワイワイとラテンのノリで応援した。試合が終わるとバスコ・ダ・ガマのビックフラッグをプレゼントされた。バスコ・ダ・ガマにはブレイク寸前のべべットやビスマルクがいた。多くの仲間と一緒に行ったので、試合を観るというより、ブラジル人たちと青空の下のスタンドでたくさんのビールを飲んだ。こんなにも楽しくサッカーを観て、こんなにも陽気に盛り上がるブラジル人たちから、今思うとサッカーの見方を学んだような気がする。そのまま日本戦となり、多くの観客が詰めかけたものの、さっきとは違うその静けさに驚いた。


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3分42秒くらいに一瞬、映っている観客は僕の仲間(先輩の後藤さん他)である。もちろん僕もばっちり映っている。裸にはなっていなくて、今見てもちょっと冷静っぽくてがっかりする。点を入れてうれしいというより前の試合からビールを飲んでいるので、酔っぱらっているラテンのノリのままである。周りはブラジル人ばかりで、日本人は誰一人、代表のレプレイカユニを着ている人はいるどころか、そのような文化さえなかった時代だった。ブーイングもなければ、選手を応援するのは「ニッポン、ニッポン」しかなかった。

 

今振り返ると、そのような時代を経て現在に至る日本のサッカーであったと締めくくることができる。

その前の89年には、日本代表はマンチェスター・ユナイテッドとは神宮球場で試合をしている。国立競技場がすぐ横にありながら野球をする神宮球場でサッカーの試合をするという、日本のサッカーの貧困的な思考であった。ピッチには野球のライン縦横無尽に引かれていて、違和感に満ち溢れたピッチだった。それでもそれを否定することは出来ない。現実に日本のサッカーはそのような位置付けであったからだ。今思えば、マンチェスター・ユナイテッドは紳士的なクラブであると思える。


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6年ぶりのキリンカップは、歴史的に見て楽しみな大会である。なぜならば、現森保監督の現役時代のA代表初召集、初先発は92キリンカップだったからである。