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目にした記事 選手権決勝 2

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【山梨日々新聞 2021.11.7記事】

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何が良くて先制点を奪えたのか、何が原因で失点してしまったのか、ピッチに立った選手はやりきったのか、やりきれなかったのか。全国への扉が開きかけ、足を1歩踏み入れたとたん、バタンとドアを閉められてしまったと仲間は言っていた。おそらく選手たちは全力を出し切ったのだと思う。肉体的な側面においては、ギリギリの状態でのパフォーマンスは素晴らしいものがあった。すべてを出し切った中で、まだまだの部分がある。極限の状態での状況判断であり、冷静さ、試合運びなどの頭で考える部分は、まだまだだった。知力と言っていいのか戦術脳と言っていいのか、単なる経験不足では片づけられないリードをしてからの試合運びだった。

学院は全力を出し切ってかなわない相手ではなかった。どちらかと言うと韮高に分がある内容であり、試合が進むにつれて韮高へ勝利は傾くことがスタジアムの雰囲気から感じられた。「流れ」と言うものが試合には存在し、それを完全にコントロールすることはできない。その流れを強引にコントロールするよりは、むしろ堂々と受け入れ、許容する中で勝機を見いだすことの方が筋が通っている。そのような意味合いにおいては、韮高、学院共に「流れを変えられる」選手を投入し、その攻防は見応えがあった。

 

未来を占う1戦としたのならば、負けてしまったものの、今後の韮高への期待値は高い。「人生における幸せは、成功ではなく成長である」としたのならば、近未来の韮高は間違いなく成功まで手に入れることができる。成功というものが何なのかは分からないけれど、仮に選手権としたのならば、これからの生き方次第で実現可能である。本気でやらなければ時間は無駄に過ぎていくだけである。人を動かすものは2種類ある。1つは「恐怖」、「利益」である。もう1つは「希望と志」である。どちらに動かされてやるかは一目瞭然であり、自分を突き動かす原動力となるものは常にそのようなものでありたい。