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『礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー50年史』

『礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー50年史』

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著 者 梅田明宏

発行所 現代書館

2014年6月12日 発行

 

2014年、読んだ本の中でイチ押し本を紹介したい。
はてしなく個人的ではあるけれど、僕にとって「家宝」となるくらい価値がある本が2014年6月に発売された。定価4000円ではあるが高くは感じない。

僕が生まれた頃から始まり、これまで歩んできたサッカー人生がそのままこの本の中に詰め込まれている。小学校時代の全日本少年サッカー大会、さわやか杯、中学の静岡での大会、そして遠征、高校時代の清水東、東海一、清商の選手、現在に至るまでの清水エスパルス・・・。堀田先生が精力的に日本のサッカーのために尽力してきた業績が、僕のサッカー人生に大きく関わっていた事が実感できる本である。600ページの量ではあるが、僕らの世代なら登場する人物も各年代で対戦したことがあったり、テレビや雑誌で知っていたりするので、よりリアルである。読み進めていくと自らのサッカー史を振り返ることにもなる。

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山梨に関わっている内容を簡単に列記する。
 
堀田哲爾先生というと、「少年サッカー、清水FC」の印象がある。現在でも続いている全日本サッカー大会。今回で38回大会になった。その前身、「全国サッカー・スポーツ少年団大会」が1967年(昭和42)に始まった。その第1回大会が(なんと驚く事に)、山梨県本栖湖の青少年スポーツセンターで開催された。本文によると『宿泊施設がなかったことから、入浴やトイレに苦労しながら、全員がテント生活を送った』とある。
 
「全国サッカー・スポーツ少年団大会」が10大会行われ、現在行われている全日本サッカー大会の第1回大会が1977年(昭和52)に新しく生まれ変わって開催された。第1回の記述には『この年全国から参加したのはこれまでと同じ32チームだったが、選考方法は若干異なり、過去の実績を考慮して8地区(東京、茨城、栃木、埼玉、山梨、静岡、広島、熊本)をシード県としたうえで、それ以外の地域をこれまでと同じ県予選、地区予選の勝ち上がりとした』とある。山梨県のサッカー育成環境は全国でもトップだったことが伺える。
 
その第3回大会。『同じ大型選手を揃える甲府戦は大会草創期を盛り上げたカードの一つだったが、特に注目を集めたのが、技の清水とパワーの甲府が決勝で激突した第3回大会だった』とある。
甲府は見事に清水FCに2-0で競り勝ち優勝を成し遂げた。甲府からは優秀選手が2名選ばれた。その2名はその後韮高サッカー部に進んでいる。
 
余談になってしまうのだけれど、飲みの席でこの時代の話になるといつも話題になることがある。この当時、選抜チームを結成してこの大会に出場することが全国的に多くなっていた。甲府が全国一になった時、山梨県予選、ベスト4が甲府FC、韮崎、旭、藤井小のスポ少だった。甲府FC以外の3チームは全て韮崎市スポーツ少年団、単独チームである。「もし韮崎が選抜チームを結成していたら・・・」的な居酒屋談議をしている。翌年(第4回大会)から韮崎も選抜チーム韮崎FCを結成した。
 
ここまででまだ堀田先生の50年史の20年くらいである。静岡、清水にはまだまだたくさん学ぶべきことがある。「サッカー文化の成熟度」の差は明らかである。この事は山梨県のサッカーに係わる人間なら、肌身で感じているはずだ。
 
このような、かなりマニアックな本がサッカー関連本で出版されることは、とてもうれしい。図書館で見つけたら、手にとって欲しい本の一つである。