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新人戦決勝 韮 崎 - 山梨学院 2

新人戦決勝 韮 崎 - 山梨学院 2

 

全国へつながる大会でないにせよ、決勝で山梨学院と対戦することによって、大きな差から小さな差までたくさんのことが浮き彫りになった。次回の対戦では0-3で負ける訳にはいかない。そのために決勝での闘いをしっかりと振り返ることが必要となる。

山梨学院の強さはどういったところにあるのか、韮高との決定的な差はどのような部分かの2点に絞って思案してみる。

まず強さに関しては、学院のサッカーはシンプルゆえに強いということである。出来ることを粛々と全力でやる、やれないことはやらないというシンプルさに尽きる。韮高が目指すべきサッカー(やらなければいけないサッカー)を学院がやっているという印象だった。韮高は手を抜かずにプレスを続けるものの、学院は逆に喰いついてくれた方がやりやすいといった連携ができているようで、ボールをシンプルに運んでいた。シュートまでの道筋が共有されていたように思えた。選手に存在感があり、ボール被保持者の連動した動きには、韮高はなかなか修正ができなかった。

決定的な差を感じたのは、学院のボールを奪われた後の高い意識とインテンシティである。ボールを失った後の切り替えの早さとそのスピードは、普段から意識してトレーニングしていないと出来ない部分だった。プレスバックのスピード(日本代表の前田大然を彷彿とさせる)は、即時奮取のチームの決め事とその意識の高さと献身性がないと実現しない。前線の選手の前に飛び出すスピードとプレスバックのスピードでは、プレスバックの方が早いのではないかと思うくらいだった。韮高のスプリントとは大きな差があった。

あとは感覚的な印象ではあるけれど、学院の強さの元というか、根源的な部分で、韮高の選手と決定的に違ったと思われたことは、学院の選手たちの表情である。様々な局面での選手たちの目つき、顔つきは、闘う表情であり、サッカーそのものを愉しんでいるように映った。高校生特有のおごりや勘違いは全く伝わってこなかった。一生懸命さ、ひたむきさ、1つ1つのプレーの執着心は学院の方が上回っていたかもしれない。プレーそのものはもちろん、ピッチに立つ選手の表情から、見ている者へ熱いものが伝わってきた。選手の表情は、サッカーへ取り組む生活そのものが現れる。そこに漂う雰囲気は悲壮感みたいなものではなく、また学院がもつ華やかさもなく、真剣さと純粋さが交じる小学生が一生懸命にボールを追う姿のようでもあった。

学院は強いと言っても、韮高を始め、県内のチームが倒すことは不可能ではない。学院を倒すことができれば、全国でも上へと登りつめることができる。韮高はやっていることは間違っていない。監督を信じて、チーム一体となってサッカーに真剣に取り組む姿勢を継続することである。春には一段とスケールアップした韮高のサッカーを見れることを期待する。

それにしても、学院の強さは格別だった。試合後に(場違いな言葉ではあるけれど)何故か思い浮かんだ言葉は、「人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや」であった。

 

子曰(子曰く)

視其所以(そのもってするところを視)

観其所由(その由るところを観)

察其所安(その安んずるところを察すれば)

人焉痩哉(人いずくんぞかくさんや)

人焉痩哉(人いずくんぞかくさんや)

論語』為政第二10