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選手権県予選 初戦回想

選手権県予選 初戦回想

 

 

つれづれなるままに、日暮らしパソコンに向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく打ちつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

 

選手権県予選が始まり、VF甲府天皇杯で優勝する確率と、韮高が選手権に行く確率はどちらが高いかなどと、とりとめもなく考えていると、VF甲府が優勝してしまった。

 

2008年(H20)が最後の選手権出場になってしまってからの没落からでは、寄り道が多くなるので、キリが良く10年前からつれづれなるままに、怪しく回想する。現時点(2022)から振り返ると、かなり奇怪で、呪われた年月を過したことが垣間見える。

断りを入れておくけれど、現役部員には全く関係のない物語で、その時代を生きてきた当事者にもその時には、発想さえ生まれなかったことである。

断るまでもなく、ジンクスだとか、巡り合わせだとか、相性だとか、そんなことは後付けでいくらでも言えることで、その時代は、ただ単に韮高が弱かっただけであるという結論で締めくくることが、後世にわだかまりを残すことはない。

 

今から10年前からそこはかとなく掘り起こす。

2012年(H24)の韮高サッカー部の部員は100名を超えていた。航空が学院を延長で破り、選手権初出場した大会では、韮高は初戦で吉田に7-0、3回戦ベスト16で日大明誠にPKで敗れた。

ここから地盤沈下が始まった。もちろん、これは(今思えば)韮高劣化の序章に過ぎなかった。歴史に残るそのグランドは、勤労青年グランド。今のGF、グリーン・フィールド穂坂である。この年までGFは、土のグランドだった。だから勤労と呼んでいて、翌年2013年から人工芝化され、GF、グリーン・フィールドとネーミングされた。

 

祟りとか呪いとかを考えるならば、これから起こる韮高の呪われた選手権は、「羽中田の呪い」と(勝手に)名付けることができる。

1年前の2011年4月、韮高OB(現山梨学院監督)の羽中田さんが、韮高サッカー部のコーチとして就任する。誰もが監督と思っていたのに、当てがわれたのはCチームだった。深い怨念と呪いを残し、羽中田さんは1年も経たずに韮高を去った。

 

2012年のだらしのない敗戦をけじめとして、監督が代わり、勤労がGFと呼称を変え、人工芝のグランドとして、すべてがリセットされたはずだった。

 

2013年(H25)の新しい年は、久しぶりにインターハイに出場した年だった。ところが・・・、選手権の初戦で桂高校に0-1で敗戦。土のグランドから人工芝になった記念すべきホームグランドでの、選手権の衝撃的な初戦敗退だった。

 

2014年(H26)、選手権初戦は9月28日。30度に近づく真夏並みの暑さの中での試合だった。汗を流しながらの観戦で、1-2で甲府工に敗れた。2年連続初戦敗退だった。夏の終わり切っていない9月の敗戦は、暑さもあってかなり、堪えた。グリーンフィールドは呪われていると、ひっそりとささやかれるようになった。

 

2015年(H26)からは、呪われた勤労・GFでは縁起を担いて試合をしなくなった。初戦は準々決勝のグランドで使用されることになっている韮崎中央公園だった。他校からクレームが出てもおかしくないフラーイングに近いグランド選びだった。なりふり構わない韮高の姿が垣間見える状態だった。

 

2016年(H27)から昨年までの初戦は、御勅使Gで行われている。「羽中田の呪い」は現在まで、呪われたままであり、その呪縛は解かれていない。

その後の御勅使Gでの試合は、6年連続初戦突破となっている。全国を目指す高校としては悲しいくらいレベルの低い話で、韮高の劣化ぶりは歴史と戦績の記すとおりである。以前のブログとこのブログに残っているので、振り返らない。

 

そろそろ呪いの封印を破る時期が来ている。御勅使Gで試合をするのではなく、ホームグランドであるGFで試合をすることが、新しい挑戦であり、見たことのない世界の扉を開く一歩であると思う。

先にも書いた通り、ただ単に韮高が弱かっただけの話であり、呪いとか怨念とか呪縛とかの話ではないと思いたい。それにしても平成末期の韮高は末期症状だった。令和になってもまだ突き抜けられていない。

 

今年の選手権の初戦のグランドは非公開である。御勅使Gであれば、どの高校でも勝てる。市営グランドでも勝てる。GFならば、選手権では初勝利ということになる。初戦は甲府東である。いわくつきの敵であり、面倒くさくもある。歴史は繰り返されるのか、それとも新しい歴史を作るのか、楽しみの増す初戦である。全国へつながる初戦だからこそ、いつもの自分が試される。