ニラニスタ発・蹴球思案処

蹴辞逍遥・晴蹴雨蹴

目にした記事22-02 県総体

目にした記事22-02 県総体

 

山梨日日新聞22.5.12】

山梨日日新聞22.5.14】

 

甲府商に勝てて、山梨学院になぜ勝てなかったのか。甲府商では、危険な時間帯で失点はせず、学院戦ではお決りの時間帯での失点をして、相変わらずの定番劇場を演じてしまった。小瀬での決勝戦は5連敗と記録を更新した。

学院の薄れた新ユニ初対決をなんとしてもモノにしたかったけれど、その思いは次の大会へと持ち越された。

 

今年の韮高は強い。弱い韮高の時と何が違うかをちょっと思案する。サッカーが上手い選手はそれなりにサッカーをする。それほど上手くない選手は一生懸命にサッカーをする。上手い選手は細かいところで手を抜いてもなんとなる。それほど上手くない選手は細かいところで手を抜くことができない。目に見えないところでサボると、試合の流れは悪くなるからである。弱い韮高は細部へのこだわりが見られる。

強い韮高が細かいところまでこだわることができたとしたら、どうなるのだろう。どちらが勝ってもおかしくはない試合は、絶対にモノにできるのではないか。勝負の神は細部に宿る。学院戦は、韮高の選手より学院の選手の方が、誰も見ていない時の行動や姿勢、サッカーの時、生活の時の細かい部分のこだわりが勝っていたのではないかと思う。

 

先日、韮高サッカー部の寮に行った。寮生はまだ帰っていなくて、ぽつぽつと帰ってきた。帰ってきた寮生は玄関でしっかりと靴を揃えて上がってきた。1人の選手は自分の靴を揃え、隣の靴も手で揃えなおしていた。その姿を目にして、韮高はまだまだ強くなる下地があると思えた。靴を揃えればサッカーが上手くなるわけではないけれど、細かい日常の生活をおろそかにすると、プレーもそうなってしまう。サッカー選手の前に、当たり前のことを当たり前にできる人間でありたい。

 

確かなことは、全国の距離は縮まっているということである。羽中田監督に「校歌が流れたときは懐かしい気持ちになった」と言わしめた韮高の力はサッカーだけではない。また韮崎との1戦について「まったく意識していなかった」というのは、緑の力を「意識しないように意識していた」のであろう。うれしいことに羽中田さん自身は「タイトルへのこだわりはない」ようである。タイトルへのこだわりのない人間に、タイトルへのこだわりがある人間が負ける訳にはいかない。学院を倒すのは今年ではないかと思う。