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鹿実・韮高・サッカー

鹿実・韮高・サッカー

 

全国の高校の中で、好きな高校がある。清水東はもちろん、鹿児島実業も大好きな高校の1つである。鹿実は多くのJリーガーを輩出し、日本代表にも名を連ねた選手もいる。鹿実と言えば、松澤先生である。九州のサッカーを小嶺先生と2トップで長い間けん引してきた。

何十年前か忘れてしまったけれど、サッカーマガジンに連載されていたコラムを読むのが好きで、発売を楽しみにしていた時期がある。そのコラムは、鹿実の松澤先生、国見の小嶺先生、静学の井田先生、帝京の古沼先生の4人がリレー方式で、1つのお題について持論というか、考え方や感想を語っていく企画だった。思想的な部分で言えば、僕は松澤先生の文章とその切り口が1番好きだった。

鹿児島という遠い地で鹿実がどのような練習をしているのかは、情報が少な時代には未知だった。そのために余計、想像力を働かせなければならない。1冊の雑誌の写真が強烈だった。その写真は鹿実のグランド風景だった。「めざせ 国立」のインパクトは衝撃的でさえある。現在の鹿実の新しいグランドには2代目「めざせ国立」がある。

 

 

元Jリーガーで人気ユーチューバーとなった那須大亮鹿実出身である。高校時代はキャプテンだった。那須の時代は選手権準優勝だった。その時代、韮高も選手権に出場していた。初戦は奈良育英だった。スタメンのほとんどが2年生で、CBには何年か前に韮高のコーチをしていた成島先生が出場している。監督は滝田先生である。

この時代の記憶としては「すごい山に入ってしまったな」である。初戦に奈良育英に勝てば、2回戦は青森山田、ベスト8で静岡学園、準決勝で市立船橋、決勝で鹿児島実業となった。韮高は30回目の選手権出場、青森山田は5回目だった。

 


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鹿実の松澤先生を紹介した記事がある。日本記者クラブのリレーエッセー「私が会ったあの人」で松澤先生が登場している。様々な分野で活躍する人の中で、サッカー界の人が出てくるのは珍しい。

 鹿児島実高サッカー部元監督・松澤隆司さん/誰からも愛された勝負師 | 取材ノート | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)

 

と思ったら、今年5月には横森監督が出た。

横森巧さん 山梨学院高サッカー部総監督/立ち止まらない闘争心の塊 | 取材ノート | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)

 

 

静岡・清水・サッカー

静岡・清水・サッカー

 

清水エスパルスクラブ創設30周年記念試合を新国立競技場で観戦してきた。日本のサッカーの歴史は、静岡のサッカーの歴史といっても過言ではないくらい日本サッカー史に残した功績は大きい。また韮崎にとっても静岡・清水という地は、常に目指すべき存在であり、追いつき追い越すことが目標であり続けた。僕自身も小学生の頃から良い刺激と衝撃を受け、現在もそれを受け続けている。

清水エスパルス-横浜Fマリノスの試合は、勝ち負けを決める単なる試合ではなく、個人的には多くの想いを内包する試合であった。韮高つながりで言えば、韮高サッカー部OBに(身内も含め)5人と会うことができた。

 

Jリーグが存在し、世界のサッカーの情報がリアルタイムで入手できる時代に、Jリーグがない時代、サッカーが市民権を得ていない時代のことを伝えることは難しい。幸いにして、韮崎はそのような時代であっても韮崎高校がサッカーが強かったおかげで、恵まれた環境にあった。

戦前、戦後、昭和の時代を経て現在まで、山梨、韮崎は静岡、清水を追い越すことができないでいる。VF甲府がそうであり、山梨の高校が静岡の高校を上回ることは想像を絶する。隣県の縁もあって、現在まで引き続き交流があることは、韮高にとっても喜ばしい限りである。

 

サッカーの情報入手の方法として、かつては本や雑誌、テレビの映像からが全てだった。進化しすぎた現代では、テレビを見ることも少なくなり、PC、スマホからが主な入手源となっている。そのような中で、僕も例に漏れずDAZNYouTubeからサッカー関係の情報を得ることが多くなった。ユーチューバーという職業が出現し、鹿実出身の元Jリーガー那須大亮の動画配信をたまに見る。清水つながりで、ちょっと前に清水東高校サッカー部の練習参加の動画があった。高校サッカーの部活潜入の動画は面白く、那須が選手へ伝えるメッセージは聞くに値する。24分から最後までは素直に話に聞き入ってしまう(母校である鹿実シリーズもお薦めである)。


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歴史を刻んできた土地の宿命もあり、その継承は良くも悪くも背負っていかなければならない。伝統の重みをうっとおしく感じるのか、その重みをプラスの力に変えていくのかは、その時代に生きた当事者の意識による。清水という土地はサッカーが染みついている土地なので、サッカーへの想い入れは強いと思われる。試合前に目に付いた「これまでも これからも」である。

 

今年の武田の里にらさきサッカーフェスティバル16、17、18日の3日間で開催される。清水東が来る予定なので、どんなサッカーをするのかが楽しみである。

 

今、求められていること

今、求められていること

 

週末になると試合がある。現代ではトレーニングをしたことを週末の試合で活かすというより、試合をしてその問題点、課題点をトレーニングで修正していくといったサイクルになっているような気がする。

そのような意味において、今、求められていることは何だろうかと考えることは、成長の1歩につながる。また自分が求めることは何だろうかと考えることも、同じである。

チームとしてワンランク上に進むためには、戦術理解が必要不可欠になってくる。各々の選手が共通のイメージを持つことが重要であり、その重要度は年々増している。

ボールを奪った時、ボールを奪われた時のアクションは、現代サッカーにおいては大切な決め事となる。次のプレーを予測しながらの動きが連動していれば、チームとしてリズムが生まれよい流れとなっていく。逆に個人レベルでのリアクションならば、チームとして限界が見える。

ボールを奪った時は攻撃の始まりであり、ボールを奪われた時は守備の始まりである。その時に、求められていることを理解していて、すぐに実践できれば、チームとして機能していると言えることができる。

1ヶ月後、1年後に、何ができるようになっているか。「ある局面において、何ができて、何ができないのか」。

「できない」という部分を細かくすると、「認識」、「分析」、「決断」、「実行」となる。そのプロセスにおいて、どの部分でできなかったのかが分かる。相手が近く(遠く)にいることを「認識」できなかったのか、相手(味方)の動きを「分析」できなかったのか、パスかドリブルかの「決断」ができなかったのか、単に技術がなく「実行」できなかったのか。

本能に突き動かされるままのアクション、プレーではなく、チームが勝つために求められているアクション、プレーを意識しなければならない。

このようなスキルは、トレーニングによって習得できる。「状況判断」はトレーニングによって飛躍的に向上していく。実践に近い状況でのトレーニングで経験を積んでいくしかない。

サッカーを深く、そしてできるだけシンプルに理解することは、これからのサッカー選手に求められる。サッカーは考えるスポーツであり、より頭を使うことができれば、格上のチームにも勝つ可能性が高くなる。

「この選手は考えてプレーしているな」ということが、試合を見ている者に伝わってくるような選手になれば、よい選手である。例えそのプレーが失敗しても、やろうとしていたことが他者に伝われば、それは次につながる。監督もそういった選手を求めているはずである。

 

 

 

ユースリーグ第6節 韮 崎-日大明誠

ユースリーグ第6節 韮 崎-日大明誠

 

結果

6月26日 日 9:30キックオフ GF穂坂

韮 崎 1-0(1-0)日大明誠

 

インターハイ予選で、力を出し切っていない試合をした1週間後、ユースリーグが再開した。3位決定戦で対戦した日大明誠と2週続けての試合だった。

はっきり言って、現在の韮高は下を向いて、立ち止まっている場合ではない。足を引きずってでも、前に歩み続けなければならない状況である。もちろん明確な目標があっての前進である。目標が定まっていないのであれば、無理して前に進むと、とんでもない方向へ進む危険がある。ただがむしゃらにやれば良いというのでは、レベルが低すぎて話にならない。

 

インターハイ明けのユースリーグでは、観るべき点があった。インターハイで結果を残すことが出来なかったベストメンバーで、また同じように闘うのか。闘うのであれば、ゴール前の道筋にエッセンスを何か加えてくるのか、ゴールに結びつかないまでも可能性を見い出せる攻撃を見ることができるのかが、見どころであった。

一方で、メンバーを多少なりとも変えてくるのであれば、攻撃の形は必然的に変化する。インターハイでは点を獲ることができなかった攻撃から変化を見ることが出来るかがポイントだった。決定機の作り方、シュートに結びつける攻撃のアイデアをじっくりと見たいところだった。

 

人間がそう簡単に変わることができないように、韮高のサッカーも劇的な変化は見ることができなかった。得点パターンは1週間前と同じく、ロングスローからの得点だった。前半終了前のチャンスをものにした。日大明誠は、怪我と疲れからの安静なのか、単純に新しいメンバーの起用なのかは分からないけれど、先週のメンバーを大幅に入れ替えた新布陣で挑んできた。韮高は明誠の攻撃を無難に退けていて、明誠の攻撃はそれほど脅威を感じることはなかった。

 

韮高の攻撃は、それ程変わることはなく相手が「何をしてくるのだろう」と構えるほどの攻撃はなかった。ロングスローでは、ロングスローと見せかけて近くの選手から攻撃を始めるシーンが何回か見られた。駿台戦の時に、いくらでも2対1のシーンを作ることができたのに、ようやくユースリーグで見ることができた。

裏を取る動きは感じることができるけれど、プッシュアウェイやプルアウェイの動きがもっともっとできてもいいのになと思った。まだまだ相手ディフェンスとの駆け引きに幼稚さがある。オフ・ザ・ボールの動きはまだ高められる。また試合中に意識してやることのできるアクションである。

 

過去の失敗を悔やんだり、未来の出来事に気をもんだりすることに意味はない。今こそが大切であり、そこに集中すべきである。長所だけでなく短所も含め、人間として選手としての自分を客観的に眺めることが必要になってくる。さらに踏み込んで、成長することの意味や価値を考えることも、ありなのではないだろうか。

 

 

 

『オフサイドはなぜ反則か』

サッカー本 0096

 

オフサイドはなぜ反則か』



 

 

著 者 中村敏雄

発行所 三省堂

1985年8月1日発行

 

オフサイドはなぜ反則なのだろう」と素朴な疑問をもったことのある人には、とても興味深い本である。読後、納得いくかいかないかは分からないにせよ、サッカーそのものと、オフサイドの奥深さを感じさせてくれる本であることは間違いない。

この本は2種類あって、三省堂選書として1985年に出版されたものと、平凡社ライブラリーから2001年に増補されて出版されたものとがある。どちらも定価より高値で取引されている本である。良い本なので増版して多くの人に読んで欲しいと思う名著である。

 

今の時代になってもサッカーはオフサイドというルールにしつこいくらいにこだわっている。最新機器の導入をしてVARによるオフサイドの有無をジャッジしている。

 

ここで考察しようとしているオフサイド・ルールは、それがフットボールの歴史のなかに登場してから、いろいろな相違や変遷はあったものの、その基本的な考え方は変わらずに今日まで受け継がれ、その厳しい統制力を発揮し続けているもので、そういう意味ではこのルールは、フットボールを特徴づける重要なルールのひとつでるということができ、今日ではこのルールのないフットボールは考えられず、またフットボールからこのルールを取り除けば、もはやそれはフットボールとはいえないとさえいえるほどのルールともなっている。それほどオフサイド・ルールはこのスポーツを特徴づけるものであるが、ではこのルールは、なぜフットボールのなかでそれほど重要な位置を占めるものになったのであろうか。

 

著者は、フットボールを愛好した多くの人々がこの不合理とも奇妙ともいえるルールを生み、認め、支持してきたのという精神や雰囲気の方が、重要な問題であるとする。そして、フットボールがもともと得点の多さを競うことを目的とするものでなかったことが、オフサイド・ルールを生み出す根本であると論を進める。

フットボールの起源を遡れば、非日常である祭りの要素を含んだ「マス・フットボール」から、日常的に行われる遊びの意味合いを持つ「空き地のフットボール」となり、競争、競技スポーツへと進化していった。

 

オフサイド・ルールは、そのもっと根本に、1点の先取を争うという約束があるなかで競技時間を長くするという目的から考え出されたものであろうと思われてくる。それは必ずしもドラマティックな激論のなかで生まれたのでも、ルールの普遍性を追求する中で生まれたものでもなく、むしろフットボールの伝統と、そこにこめられた民衆の喜びや楽しみを受け継いでいくという自然で人間的な行為のなかで生まれたものであるように思われる。

 

これからも時代が進むにつれ、サッカー自体も進化していく。それに伴ってオフサイド・ルールは当然、変化していくものと思われる。原点というか源流をのぞき見するには、素晴らしい本である。