ニラニスタ発・蹴球思案処

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東大サッカー

東大サッカー

 

大学のサッカー部の続きというか、そこから派生する話がある。遥か昔、僕が高校の頃の話である。東大生とサッカーを一緒にしたことがある。高3の冬に、大学受験のために短期集中講座を受けるために東京へ行った。仲間が体育学部専門のコースを見つけてきて、受講することにした。宿泊先は東大の赤門近くの旅館だった。1日の講義が終わり、夕方に旅館に戻ってきた仲間は走りに行っていた。その仲間が帰ってきて「サッカーをやりに行こう」と言った。東大の中を走ってきてそこでサッカーをしている大学生に「サッカーを一緒にしていいか」と聞いたら、「一緒にやろう」と言われたとのことだった。2人で東大の構内に入り、農学部のグランドへ走っていった。練習が終わった後なのか、そこでミニゲームに交ぜてもらった。東大生はお世辞にもサッカーが上手くなかった。高校生の僕らの方が圧倒的に上手かった。たくさん点を入れることができたし、たくさんの敵を抜くことができた。始めはリラックスしてプレーを楽しむことができた。けれどミニゲームがなかなか終わらなかった。なるべく汗をかかないようにプレーをしていた状況から、本気モードでやらなければならない状況へと変わっていった。東大生は汗びっしょりになって挑んできていて、真剣勝負の雰囲気を感じることができた。高校生に負ける訳にはいかないというプライドと言うより、手を抜かず全力でプレーする姿に映った。ボールに喰らいつくその一生懸命さは、サッカーが上手くても上手くなくても変わらなかった。いつどのようにして終わったかは記憶にない。ただ最後に「明日も来てくれるか」というようなことを言われ、翌日も来る約束をした。翌日も夕方からミニゲームに参加した。東大生のミニゲームに打ち込むその全力さは身に迫るものを感じた。こっちも真剣にやらなければいけないと思ってしまうほどで、その姿は頑固なまでに真剣そのものだった。「あ~この人たちは勉強もこんな風に一生懸命にしているのだな」と帰りながら思った事を思い出す。

ミニゲームをしたなんでもない記憶が今まで残っているということは、やはりそこに何かを感じることがあったからなのだろうと思う。それはサッカーの上手い下手に関わらず、またサッカーに限らず全てのことにおいて、本来あるべき一生懸命に取り組む姿勢を見たからではなかったかと思える。目の前のやるべきことに対し、真摯にひたむきに全力で打ち込むことができた人間が、より良い生き方ができるのではないかと思う。