ニラニスタ発・蹴球思案処

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ユースリーグ2024 開幕前

ユースリーグ2024 開幕前

 

U-18サッカーリーグ 2024山梨(ユースリーグ)が今週末からスタートする。前期、後期合わせて全18節、入れ替え戦まで含めて12月までの闘いが始まる。1部リーグのトップは、プリンスリーグへの昇格を目指して全力で闘うことで、選手権への出場の道が連動して開けてくる。

まずはチームとしての目線を合わせることが大前提となる。掲げた目標に対して部員全員での共有化は、日々のトレーニングにブレない姿勢を生み出す。妥協や甘え、心の隙が芽生えた時に、掲げた目標が灯台の役目を果たす。今の自分の行動、心構えは、掲げた目標に対して恥ずかしくないものか、ブレていないかを客観的に判断できる基準となる。そして何より、同じ目標に向かって努力する仲間に対して、うしろめたくはないか。日々の小さな努力、ひたむきさは、積み重ねるととてつもなく大きなものになる。手を抜いた生活は、ある日突然、大切な時に、自らの過去の日々を悔やむことにつながる。気が付いた時にはすでに遅く、そここそが勝者と敗者を明確に分ける。

韮高サッカー部という組織は、状況が悪い方向へ行かないように抑制できる組織であり、軌道修正が柔軟にできる集団であると思っている。逆に言えば、1つの目標に向かって、それを実現するために一生懸命に突き進むことができる組織と言える。その精神性は日常生活でもサッカーの試合の中でも変わらない。試合中にはそのような姿勢がプレーに現れ、勝利へとつながるプレーとなる。

 

現代のサッカーは進化のスピートが増している。よってチームとしての戦術の進化に伴い、選手個々に求められるスキル(心技体)もより多くなっている。個人戦術においても、情報収集能力や認知、判断の処理スピードは速度を増している。いわゆる戦術眼は、そのスピードと視野の広さが必要となるし、戦術理解力は「周囲が見渡せない局面」でも状況把握を可能にするので、選手の頭脳へのアプローチ(トレーニング)も行われている。サッカー選手である前の人としての学ぶ姿勢があるかないかで、上達の差は歴然となる時代である。

 

どのような姿勢で、どのようなプレーをして、チームの勝利に貢献するのかが楽しみである。リーグ戦で良いプレーが出来た選手が、一発勝負のトーナメントで安定したプレーを生み、ここぞいう局面で力を発揮する。1戦1戦を全力でプレーする積み重ねが、大きな力となる。継続は力なりではなく、継続しか力にならない。山梨県のナンバー1の座に必ずなることができると信じている。

 

 

 

浦和カップ 2024

浦和カップ 2024

 

結果

3月29日 金 9:30 13:50キックオフ 浦和学院

予選リーグ

韮 崎 2-2 浦和学院

韮 崎 0-0 野辺地西

 

3月30日 土 13:50 14:55キックオフ 浦和学院

予選リーグ

韮 崎 2-1 中央学院

韮 崎 0-0 浦和東

 

3月31日 日

研修試合

韮 崎 0-1 國學院久我山

韮 崎 1-0 聖和学園

 

春の浦和カップは、2勝1敗3分、得点5、失点4という結果だった。表向きの結果だけ見れば、まあまあだったのか、今一つだったのか。また得失点から見てもやはり、まあまあだったのか、今一つだったのか。これからにつながる(つなげなければいけない)多くの課題が見つかる遠征だったと思いたい。

昨年の大会は準優勝だった。とはいってもその後のチームの成長(結果)を見れば、たいしたことはなかった。よってこの時期の勝敗で一喜一憂をしてはいけない。おそらく、すべての選手、部員が大なり小なりの悩みやストレスを感じている。どうやったら点が奪えるか、どうやったら点を入れられないか、どうやったら試合に出場できるか、どうやったらトップチームに上がれるか、それなりの生き詰まりを感じ、そこからどう脱却していくかをああでもない、こうでもないと考える。まずその考えること自体が、成長へのきっかけとなる。考えることを止めないことで、行動に移すことが可能となる。大きく行き詰まれば、大きく道は開ける。ポジェティブな思考が、自分を新しい局面へと導くことができる。

ヨハン・クライフは「才能ある若手選手にこそ、挫折を経験させなければならない。挫折はその選手を成長させるための最大の良薬である」と言っている。挫折を味わい、そこから這い上がることで、ピッチで覚醒する選手が生まれる。環境や他人の影響で自分は陽の目が当たらないと思っている選手は、まずはその考えを修正すべきである。一人一人がポテンシャルは表に出るまで分からない。「環境からの刺激を挑戦的なものであると認識し、自己成長的な機会として捉え直す」ことができれば、これから訪れるチャンスを活かすことが絶対にできる。

4月からの時間の流れは、これまでよりさらに加速して流れていく。リーグ戦が始まり、県総体~インターハイと連続していく。もがき、苦しんだ選手が最後の最後に笑うことができる。

 

 

何をやっても思うようにならない時

根は育つ

 

 

 

 

ヴィニシウス・ジュニオール

ヴィニシウス・ジュニオール

 

大谷翔平メジャーリーグ、甲子園、プロ野球と、テレビでは絶え間なく野球の情報が流れている。日本は今以て、野球好きの国民であり、スポーツの関心事は野球が中心である。そのような中で、昨年5月にこのブログに書こうとしていたことがあった。もちろん野球ではなくサッカーのことで、そのまま放置されていて、やはりここに書き留めておかなければならないと思い立った。

昨年5月のラ・リーガバレンシア-レアル・アドリード戦でのヴィニシ・ウスジョニオールへの執拗な人種差別である.

😔ヴィニシウスとバレンシアの観客席との対立:人種差別的な侮辱を受けて/ バレンシア対レアル・マドリード 1ー0 - YouTube

この試合はレアルが0-1で負けてしまった。おまけに感情を押さえきれないヴェニシウスは、試合の最後の最後で退場となってしまう結末だった。ラ・リーガは人種差別の巣窟と言われてしまうほど、スタジアムでの差別発言、汚い言葉、暴言が飛び交っている。このバレンシア戦の前のバルサとのクラシコ、そしてアトレチコとのマドリードダービーでもヴィニシウスへの差別チャントは執拗に行われていて、試合が中断している。ヘイトクライムをしたサポーター7人が逮捕される事態となった。なおかつゴール裏は5試合の無観客の処分となった。


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僕はレアル・マドリードというチーム自体はそれほど好きではないけれど、僕好みの選手が多くいるので、試合そのものというより、選手のプレーを見るという視点でレアルの試合は良く見る。そして僕が現在の世界の監督の中で一番リスペクトするアンチェロッティがタイミングよくレアルの監督なのもレアルの試合を見る動機となっている。アンチェロッティの静かな落ち着きの中の怒り、選手に対しての接し方とフォローは、アンチェロッティが世界トップの監督として評価されていることに納得できる。監督というより、人としての言動、振る舞いは、常に勉強になるし、僕もそうありたいと常に思わせる。


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わずか10ヶ月前に(慢性的である)人種差別のチャントや暴言が世界中を巻き込む大問題となった。そして3月2日に同じスタジアムでバレンシアとの試合が行われた。追いつく展開となった苦しい試合だったものの、ヴィニシウスの2得点でなんとかドローとなった。4試合連続ゴールを重ねているヴィニシウスは、3月27日に国際親善試合、スペイン-ブラジル戦となった。その試合前日の記者会見でヴィニシウスは涙する。


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僕らはサッカーで世界とつながっている。テニスやゴルフでは絶対に存在しないといわれる人種差別は、サッカーの世界(特にスペイン、イタリア)では根強く残っている。さかのぼればバルサエトー、ちょっと前ではイタリアでのバロッテッリ、そして現在の標的はまだ23歳のヴィニシウスである。勝った負けたの先には(奥には)、勝利より大切な何かが存在している。それを見極める自己の眼を養いたい。

 

ヴィニシウス・ジュニオール:人種差別と戦うサッカー界で最も重要な“ゲームチェンジャー” | Goal.com 日本

 

人種差別と闘うヴィニシウス、記者会見で嗚咽…「毎日差別を考えながら試合に臨むのは難しい。プレーする気力を失うときもある」 | Goal.com 日本

 

「模範的なプロ」 日本人女性記者の涙に海外感動、ヴィニシウス差別に号泣「素晴らしい」 | フットボールゾーン (football-zone.net)

 

 

 

2024シーズンJ参戦と新キャプテン

2024シーズンJ参戦と新キャプテン

 

思った以上に、いろいろと忙しい日々が続き、なかなか思い通りのスケジュールを組むことができなかった。そんな中、今シーズンのJリーグ参戦をすることができた。Jリーグが誕生してから31年目のシーズンとなる。毎年、毎年、スタジアムへ足を運ぶことで、サッカーのある日常の有難みを感じることができる。

試合前に、選手がいないピッチを眺めるのが好きで、何も考えないでいることはできず、浮かんでは消える雑念が次々と出てくる。そこで流れているJリーグオフィシャルテーマソング「J'S THEME」が、長い間変わらずに流れるところも、スタジアムの良い雰囲気を作り出している。今年もはじまったなという、ある意味をリセットできる気持ちを持つこともできる。

僕の座席の横には2人組の若い男のサポーターがいた。2人の若いサポはフレンドリーに私にあいさつをして、話しかけてきた。もちろんJリーグも好きなのだけれど、世界のサッカーの方が興味が湧くらしかった。2人は今年、高校を卒業し、4月からは大学に通うサポだった。1人は父と母がいつも試合を観戦しにスタジアムに足を運んでいて、小さい頃から試合を見ていたとのことだった。いつの間にかサポーターとなってしまった。Jリーグ発足から30年、2世サポーターが誕生する年月が経った。サッカーに関してビックリするほど詳しく、そしてマニアックなので、サッカー部だと思っていたらバレー部だった。僕があまりサッカーに詳しくない人だと思ったようなので、親切にいろいろと話をしてくれた。18歳にしてはめずらしくフレンドリーなサポだった。

 

J観戦の前日の夜、サッカー仲間からうれしい連絡が入った。大東文化大学サッカー部の新キャプテンに、韮高出身の杉崎巧が就任したとのことである。東都1部に所属する他大学のOBからの情報で、他大学のスカウティングに抜かりがない。大学のキャプテンになるということは、高校のキャプテンとはまた違った役割がある。とはいえ、勝利を目指してチームを引っ張っていくということには変わりがないので、応援したい。韮高OBで大学のキャプテンになるというのは、めったにないことである。サッカーに取り組む姿勢、仲間からの信頼、そしてリーダーシップなど、多くの秀でた資質がなければキャプテンは務まらない。高校時代から大きく成長した姿がうかがえる。杉崎巧は神山寮の1期生だった。高校3年間はたくさんの味わいたくない苦しい事や過酷なことがあったかもしれない。否応なしに、現在の自分を形成しているその1部となっていることは否定しようがない。

神山寮の杉崎巧の部屋に大切にかけてあったジャージがあった。僕らの時代のトレーニングウェアである。杉崎巧のお父さんがサッカー仲間から譲り受けたジャージであり、それを息子が譲り受けた。そのジャージは新品そのもので、30年以上前のジャージとは思えない程、輝きを放っていた。グリーンのユニホームに憧れたことはもちろん、この黄色のジャージを着ることにも憧れたはるか昔の思い出を神山寮で話したことがある。

Jリーグ、大学サッカー、高校サッカー、ジュニアユース、あらゆるカテゴリーで多くの選手が全力でプレーしている。今シーズンもリーグがスタートしている。引き続きサッカーを楽しみたい。

 

 

 

東大サッカー

東大サッカー

 

大学のサッカー部の続きというか、そこから派生する話がある。遥か昔、僕が高校の頃の話である。東大生とサッカーを一緒にしたことがある。高3の冬に、大学受験のために短期集中講座を受けるために東京へ行った。仲間が体育学部専門のコースを見つけてきて、受講することにした。宿泊先は東大の赤門近くの旅館だった。1日の講義が終わり、夕方に旅館に戻ってきた仲間は走りに行っていた。その仲間が帰ってきて「サッカーをやりに行こう」と言った。東大の中を走ってきてそこでサッカーをしている大学生に「サッカーを一緒にしていいか」と聞いたら、「一緒にやろう」と言われたとのことだった。2人で東大の構内に入り、農学部のグランドへ走っていった。練習が終わった後なのか、そこでミニゲームに交ぜてもらった。東大生はお世辞にもサッカーが上手くなかった。高校生の僕らの方が圧倒的に上手かった。たくさん点を入れることができたし、たくさんの敵を抜くことができた。始めはリラックスしてプレーを楽しむことができた。けれどミニゲームがなかなか終わらなかった。なるべく汗をかかないようにプレーをしていた状況から、本気モードでやらなければならない状況へと変わっていった。東大生は汗びっしょりになって挑んできていて、真剣勝負の雰囲気を感じることができた。高校生に負ける訳にはいかないというプライドと言うより、手を抜かず全力でプレーする姿に映った。ボールに喰らいつくその一生懸命さは、サッカーが上手くても上手くなくても変わらなかった。いつどのようにして終わったかは記憶にない。ただ最後に「明日も来てくれるか」というようなことを言われ、翌日も来る約束をした。翌日も夕方からミニゲームに参加した。東大生のミニゲームに打ち込むその全力さは身に迫るものを感じた。こっちも真剣にやらなければいけないと思ってしまうほどで、その姿は頑固なまでに真剣そのものだった。「あ~この人たちは勉強もこんな風に一生懸命にしているのだな」と帰りながら思った事を思い出す。

ミニゲームをしたなんでもない記憶が今まで残っているということは、やはりそこに何かを感じることがあったからなのだろうと思う。それはサッカーの上手い下手に関わらず、またサッカーに限らず全てのことにおいて、本来あるべき一生懸命に取り組む姿勢を見たからではなかったかと思える。目の前のやるべきことに対し、真摯にひたむきに全力で打ち込むことができた人間が、より良い生き方ができるのではないかと思う。