ニラニスタ発・蹴球思案処

蹴辞逍遥・晴蹴雨蹴

2021ユースリーグを振り返る

2021ユースリーグを振り返る

 

2021山梨県ユースリーグの全日程が終了した。韮高は監督が代わり、今年から2チーム出場することになった。5部リーグからのスタートとなった韮崎Bは、日大明誠Cに1-2で敗れ、最終順位は2位だった。それでもトップチームに比べれば、しっかりと結果を残した。総得点は69、失点は3だった。1試合で最高の28得点を記録した試合もあった。来年につなげた結果だった。

f:id:nirasakishikibu:20211219184903p:plain

f:id:nirasakishikibu:20211219184919p:plain

トップチームの最終順位は、5位という情けない結果となった。毎年ながらの4~6位の定位置を脱出できるかと思っていたら、定位置維持だった。選手権決勝まで勝ち進んだチームだけあって、得点は近年の韮高最高得点の31得点だった。2014年に52得点を記録しているので、来年度はそれを上回りたい。攻撃はまずまずであった。得点ができなかった試合は4試合。その内、0-0が2試合なので、攻撃力、得点力は確かにあった。その一方で、守備が26失点とだらしがなかった。最後まで守備に関しては修正できなかった。今シーズンの韮高の負けは、0-1という惜敗がない。負けた試合は2点以上取られての敗戦なので、堅守には程遠い距離にいた。2016年に選手権決勝へ進んだ年代が最小失点の、17だったので、攻守のバランスがこれからの課題である。複数失点の試合をどれだけなく少なくすることができるか、クリーンシートの試合がどれだけできるかが、強いチームの判断基準となる。また2連敗を喫した高校は、帝京三甲府商だった。1つ1つを見れば小さな敗戦かも知れない。けれどその小さな敗戦が、大切な試合で取り返しのつかない惨事を招く。

 

終戦を待たず、圧倒的強さだったのはVF甲府だった。勝ち点、得点、失点ともに2位に10以上の差をつけての優勝だった。そのVF甲府はプリンス入れ替え戦鹿島学園(選手権茨城代表)に敗れた。プリンス2部でのスターとなるので、学院、VF甲府が県リーグにいない。韮高はまずはリーグ優勝を目標に掲げ、その積み重ねが1発勝負のトーナメントに活かされてくることを認識しなければならない。1試合1試合全力を尽くすことのできる選手が、しっかりとした結果を掴むことができる。試合で全力を尽くせる選手は、トレーニングを全力で出来る選手である。強くなるためにやらなければならないことや、大きな課題はたくさんある。それにも増して韮高の可能性と希望は大きい。

 

ユースリーグ第18節 最終節 日本航空

ユースリーグ第18節 最終節 日本航空

 

結果

12月11日(土) 12:30キックオフ GF穂坂

韮 崎 0-4(0-1) 日本航空

 

2021年、令和3年度のユースリーグ最終戦だった。ようやく終わったのか、あわただしく過ぎ去るように終わってしまったのか、何につけても終わってしまう寂しさはある。3年生が引退せずに最後までユースリーグを闘った。ここ数年、選手権で引退しない3年生が増え、新チームで試合をすることはなくなった。令和の新しい韮高サッカー部へと変革を遂げつつある。

試合は完敗だった。選手権の時のハイパフォーマンスはどこかに吹っ飛んでしまっていて、普通の高校生がサッカーをしている牧歌的な雰囲気を醸し出していた。最終戦で4失点はお粗末すぎた。得点も失点も複数を連発するバランス取れたチームだったように思う。

今季は監督も交代し、目標はプリンスリーグ昇格だった。結局、最終順位は5位というプリンス昇格には程遠い結果となった。例えば、プリンス昇格が懸かる試合だったら、どのようなメンバーで臨んだのか、来年につなげる試合にするにはどのようなメンバーで臨めば良いのか、いろいろと考えさせられる内容であった。

静岡学園はトップチームはプレミアに、セカンドチームはプリンスに昇格し、次の世代にこれでもかというバトンをつないだ。神村学園はプレミア昇格を逃し、選手権の前に悔し涙を流した。

全て同じ高校生である。次元が違うとか、レベルが違うとかと、判断してしまうのは誤りである。繰り返すけれど、同じ高校生である。環境や技術は別にして、高みを目指す志、覚悟だけでもそこに到達していたい。能力の差はあっても、目標にたいする意気込みと行動だけは、意識しさえすれば、トップレベルを保てるはずである。そのようなプロセスを積み重ねていく他に、強いチームになる方法があるのだろうか。

選手権出場を目標にサッカーに取り組むだけでは、永遠に選手権に出場は出来ない。学校生活、しいては長い人生の生き方につなげる高校生活にしなければ、県代表は夢のまた夢で終わる。今後のサッカーは総合力がモノを言う時代になっていく。「高校生らしさ」のレベルがさらに上がる。求められるものはサッカーだけではなくなり、サッカーだけでは生き残る事さえ難しい時代となる。

韮高の復活まであと少しのところまで来ている。新しい歴史を切り開けるのは、現役の選手だけである。またこれからも引き続き、応援して行きたいと思う。

 

f:id:nirasakishikibu:20211214212006j:plain

 

ユースリーグ第11節~17節

ユースリーグ第11節~17節

 

結果

第15節 11月13日(土) 10:00キックオフ GF穂坂

韮 崎 1-2(1-0) VF甲府ユース

 

第11節 11月14日(日) 15:00キックオフ 山梨学院和戸G

韮 崎 0-2(0-1) 甲府

 

第16節 11月20日(土) 10:00キックオフ GF穂坂

韮 崎 3-2(2-0) 山梨学院セカンド

 

第12節 11月21日(日) 13:00キックオフ GF穂坂

韮 崎 2-1(0-1) 東海大甲府

 

第17節 11月27日(土) 15:00キックオフ 東海甲府G 

韮 崎 2-2(2-0) 駿台甲府

 

第14節 12月4日(土) 10:00キックオフ 帝京三

韮 崎 0-2(0-1) 帝京三

 

第13節 12月5日(日) 12:30キックオフ 東海甲府

韮 崎 2-0(0-0) 笛 吹

 

光陰は百代の過客なのか、月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり、なのか、選手権県大会決勝から早くも1ヶ月が経ってしまった。選手権決勝の翌週より、ユースリーグが再開された。コロナの影響で延期された試合と、通常の試合が連続した過密日程となった。

新チームなのか、引退しない3年生が出場しているのかは分からないけれど、対戦相手は抜きにして、よく点を獲っているし、獲られている。まずは、今、やるべきこと、今、やらなければならないことは何かをしっかりと考えなければならない。自分に足りないもの、自分のストロングポイントは、フィジカルなのか、テクニックなのか、メンタルなのか。判断力なのか、戦術脳なのか、分かっていなくて出来ないのか、分かっていて出来ないのか。ただ漠然として日々のトレーニングをしているようでは、永遠に中途半端のままである。自分と向き合い、思考を洗練化することによって、見えていなかったものが見えてくるし、あいまいだった形がリアルに見えてくる。本当の自分の姿にどのように対峙するのか、そしてそれをどう大切にするのか。

監督は意図を理解させるのではなく、理解できる選手を注意深く見ている。その見極めは難しくもあり、簡単でもある。選手の日々のプロセスをしっかりと見ている。選手は1日1日全力で、100%の力を出し切る日々を積み重ねる。そうすることによってのみ、試合で100%の力を発揮できることができる。練習のための練習、ただやるだけの練習では、大きな壁は超えられない。

上を見ても下を見てもキリがない。常に上昇思考とポジェティブな思考を持ち合わせたい。目標に向かう行動は、自分自身にも仲間にも良い影響を与える。韮高は大きな可能性を秘めている。夢や目標の実現に向けて、前向きに取り組むことは大切であり、最低条件である。

 

 

『フットボール批評 教養としての現代サッカー』

サッカー本 0088

 

フットボール批評 教養としての現代サッカー』

f:id:nirasakishikibu:20211208212432j:plain

発行所 株式会社カンゼン

2021年12月6日発行

 

フットボール批評最新号(issue34)が発売された。思わず飛びついてしまう特集が組まれていて、サッカーの切り口としては斬新かつ新鮮である。「教養としての現代サッカー」とはどのようなものなのか、このようなテーマを掲げ、サッカーを捉えようと試みる面白い雑誌である。

現代サッカーは、未来に向かって加速度的に進化している。以前よりも、求められるものが多様化し、それに加え頭を使うスポーツになった。「サッカーは文化である」と誇らしげに口にする時代は過去のものとなり、この本にある通り、サッカーとは、「文化」である以上に、「社会」なのである。

 

これまで蓄え、培った知識などの価値体系を崩し、サッカーというスポーツを、スポーツとしてではなく、学問として解釈することも大切だと思う。これからはさらにサッカーにも教養が必要になってくる。

 

ボールに寄っていくスライドと、ただ左から右、右から左にズレていくスライドとでは、圧倒的に違う

 

ユニット内を「連動」させて、ユニット外を「連鎖」させる

 

選手が伸びるかどうかは、スキルを伸ばした選手に、そもそもテクニックも備わっていればいい、という確率論になっている

 

サッカーの持つ多様な世界観を、教養と現代サッカーとを絡めて論じている文章は純粋に面白い。日本でも薄っぺらい内容の本ばかりでない時代が到来している。『フットボール批評』に寄稿しているサッカージャーナリスト、ライターの面々は、精悦揃いである。

 

ミケルス、サッキ、アンチェロッティモウリーニョグアルディオラ、クロップと名監督の采配、戦術、サッカーに対する姿勢は、その時代、時代に受け入れられ、称賛された。本にも登場する次世代を担う注目すべき監督は、ユリアン・ナーゲルスマンだろう。まだ日本では、ナーゲルスマンの監督本、戦術本は発売されていない。これからが楽しみな監督であると期待を込めて、勝手に予言しておく。何年後かに、改めてページをめくる楽しみのある内容である。

 

 

選手権特集04

選手権特集04

 

山梨日日新聞 21.12.1記事】

f:id:nirasakishikibu:20211205210132j:plain

 

「わたしの選手権」第9回目は、韮高OB4人目の斉藤先生だった。韮高が県内の大会で負ける姿を初めて見たのは、僕が中学生の頃だった。県予選選手権準決勝で、東海甲府の前に韮高が敗れる姿にショックを受けた。その時の監督が韮高OBでもある斉藤先生だった。

その後、僕を含めて6人が韮高サッカー部へ進んだ。東海へは4人がサッカーをするために進路を選択した。当時、僕らの時代は越県受験が難しかったので、韮高でサッカーをするためには、地元の中学から通うシステムだった。韮崎東中には2人、県外からの仲間がいて、韮崎西中には1人いた。その1人が韮高を選ばず、東海へ進学した。そのくらい東海甲府は、その時代は勢いがあった。結果論から言えば、韮高は選手権に行けず、東海が行ったのだから、その選択は正しかった。

斉藤先生には思い出がある。高校時代、山梨県選抜の練習が何度もあって、県選抜の指導者が斉藤先生だった。東海や機山、日大明誠の選手にはあんまり厳しくなく、なぜか韮高の選手にはものすごく厳しかった。選手の偏見であることは分かるのだけれど、僕の仲間は練習中の斉藤先生の言動に我慢ならなかった。「なんで韮高の選手ばっかり・・・」というストレスは、とうとう爆発して、斉藤先生と喧嘩をすることになる。最後の走りの練習が納得いかないで、斎藤先生の言うことを無視して、勝手に帰ってしまった。もちろん、それ以後は選抜には呼ばれなくなった。指導者も選手もガリガリ、ゴツゴツとやり合っていた時代の話である。

韮高を始め、東海も機山も明誠も甲府工も、これでもかと言うくらい素行の悪い子供たちが集まっていたので、先生たちもかなり手を焼いたのではないかと思われる。ぶっとばされても、子供たちもちょっとやそっとではへこたれなかった。何に対して、そんなに抵抗していたのか、負のパワーをサッカーに変換できればものすごいパワーになるのにと、とんでもない先輩や仲間、後輩の突っ張った姿を見ては思っていた。高校時代、そのような体験をしたおかげで、「サッカーだけ上手くてもだめだ」と悟ってしまった。

 

生きていくうえで大切な学びの多くを、サッカーを通して教えられている。現在もその途中である。分かっているつもりでも、実は何も分かっていなかったことや、人間として、サッカー選手として、「あたりまえのこと」が全然、あたりまえでなかったりする。オフ・ザ・ボール、オフ・ザ・ピッチは、ボールを保持している時以上に、重要なことである。そのことが分かっているようで分かっていない。斉藤先生はそのようなことを、僕らにサッカーを通して伝えていたのだと思う。