ニラニスタ発・蹴球思案処

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プーマカップ 第3節

プーマカップ 第3節

 

結果

1月21日 土 13:30キックオフ うさぎ島3

韮 崎 1-0(0-0)松商学園

 

新チームがスタートし、内容は別としてまあまあの結果を残している。1戦1戦、全力で力を出し尽くすプレーをすることが、より良い結果、未来へつながっていく。「フットボールのワンプレーには、フットボールのすべてがつまっている」という言葉があるように(またその言葉を信じて)、目の前のプレーに全力で挑まなければならない。

 

上を見ても下を見てもキリはない。そうだとしたら、常に上を見続ける日々を送りたい。トレーニングでも生活でも自らの視線を意識したい。視線を上に向けると、いろいろなものが視野に入ってくる。気持ちが落ち込んでいる時や苦しい時は、下を見がちである。そのような時、意識して見上げてみると、案外良い方向への導きを得ることができる。小さい頃に試合中に「顔を上げろ~」とコーチに言われたことがない選手はおそらくいない。顔を上げるだけで視野が開け、いろいろなものが見えてくる。見えた後に、どのようなプレーを選択するかは、日々のトレーニングの内容やコンセプトで違ってくる。

 

話は大きく逸れて、今年は司馬遼太郎生誕100年である。小学6年生の国語の教科書に載った文章を抜粋する。

人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。

自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。

助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である。

他人の痛みを感じることと言ってもいい。

やさしさと言いかえてもいい。

「いたわり」

「他人の痛みを感じること」

「やさしさ」

みな似たような言葉である。

この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。

根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。

その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていけさえすればよい。

 

司馬遼太郎は「根っこの感情」と呼んでいる。当たり前のことではあるけれど、この当たり前のことを人間は良く忘れる。サッカーは人間がするスポーツである。人間の基礎をおろそかにするチームは弱い。またサッカーは11人で行うスポーツである。1人よがりやワンマンな選手は、たとえ上手くてもチームとして機能しない。司馬遼太郎のいう「根っこの感情」を忘れてはいけない。この根っこの感情を韮高サッカー部が大切に大きくしていけば、必ず全国で通用する強いチームになる。視野を広げ、サッカーにつながる情報を広く取り入れたい。