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四国インターハイ

四国インターハイ

 

令和4年度全国高等学校総合体育大会、インターハイ山梨県予選が始まった。韮高の登場は準々決勝からとなる。もちろん山梨県代表となり、全国の舞台での躍進が期待される。

全国47都道府県を持ち回りで開催されるインターハイの今年の開催地は徳島県である。四国でのインターハイは過去4回あった。韮高は過去の4大会で四国全県を制覇している。

徳島開催は今年で2回目。初めて韮高が四国・徳島に行ったのは昭和46年(1971)のことである。

2回目が昭和58年(1980)愛媛・松山大会。

3回目が平成元年(1989)高知大会。

4回目が平成10年(1998)香川大会である。

縁起が良いことに、韮高は四国開催とは相性がよい。今年は開催地が徳島なので、開催地から引き寄せられているような気さえする。

県予選が始まると同時に、何かといろいろなことが重なった。今から51年前に開催された徳島大会にピッチに立ったイレブンの大先輩の訃報があった。当時のプログラムを持っていたサッカー仲間からメンバーが送られてきた。偶然にもその夜、その時のメンバーの大先輩方と会う予定があったので、その時の話を聞いてきた。

 

キャプテンは(最近のブログに登場した)トレランで有名な山本健一のお父さんの山本克己さん。今でも活躍している大先輩ばかりで、錚々たるメンバーである。当時の話を聞くと、電車で移動、徳島に船で渡ったとのことである。やはり大先輩方の試合の思い出は、勝ったことより浜名に負けたことの思い出ばかりだった。勝った試合では、徳島の暑さにやられたそうである。あまりの暑さに試合終了後、ある選手が相手のベンチに挨拶もせずに戻ってきて、田草川先生にものすごく怒られたとのことである。浜名に負けた後、深夜遅くに韮崎駅に降り立った記憶をよみがえらせていた。サッカーの試合の記憶より、どうでもいい想い出が深く刻まれていることの方が多い。

1980年の松山大会の想い出話もかなり面白いのだけれど、ここには書けないことばかりである。

 

今年のインターハイの韮高の闘いが始まる。時代の移り変わりがあるとはいえ、韮高の緑のユニホームに宿るメンタリティーは不変である。ネガティブなことも、負のパワーも全てをプラスの熱量に変換して、県代表になることを願っている。