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新国立競技場 選手権決勝

新国立競技場 選手権決勝

 

全国高校サッカー選手権が第92大会(2013)以来、8年ぶりに新国立競技場に戻ってきた。東京オリンピック開催のために、国立競技場は新国立競技場に生まれ変わった。埼玉スタジアムは文句のつけようのない素晴らしいサッカースタジアムであるけれど、前回大会までは1、2回戦で使われていただけに、準決勝決勝の舞台としては、個人的にはしっくりこなかった。

姿かたちのなくなってしまった国立競技場を懐かしみ、深く記憶に刻まれている人はたくさんいると思う。僕もその1人で、昔の国立競技場は国立競技場で、現在の国立競技場は新国立競技場といった言葉分けになってしまう。

 

新国立競技場に国立競技場の面影を求め、試合前に逍遥した。

国立競技場と言えば、「1番に思い浮かぶものは何か」という問いに対しては、メインスタンドにある「2つの壁画」であると答える人が多数であると思う。2つの壁画は国立競技場の唯一無二のシンボルだった。1つは「野見宿禰像」、もう1つは「ギリシャの女神像」である。僕は昔から国立競技場へ足を運んだのがきっかけで、「野見宿禰像」が好きになり、『日本書紀』などから野見宿禰について見識を広めた。今では野見宿禰は、日本のサッカーの神様であったと思っている。新国立競技場の青山門に保存されていて、間近で見てきた。その近くには聖火台もひっそりと鎮座している。

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僕は国立競技場のバックスタンドから眺める新宿ビル群が好きだった。10代、20代、30代、40代と、そこから眺める新宿のビル群が新しく増えていくビルの光景が好きだった。屋根に覆われた新国立競技場から昔の光景がどのように見えるだろうかと思っていた。もちろん期待はしていないのだけれど、バックスタンド最上部から眺めてみた。

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メインスタンド最上部から新宿ビル群を眺めることができた。

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国立競技場の最上部にはためいていた高校サッカー旗の光景は見ることはもちろんできず、屋根に覆われた新国立競技場からは、毎年の恒例であるキックオフ前のヘリコプターが確認できるだけだった。これからは屋根の上に新しい未来が開けている。

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春、夏、秋、国立競技場に足を運んだ。冬の季節の国立競技場は、選手権の想い出しかない。座っていると寒さがしみてきて、足の先から冷たくなり、風の強い日には容赦なく冷たい風にあたりながら、サッカーを観戦した。試合が終わって青山門から出て、国立競技場を振り返ってみるのが好きだった。試合の余韻と深いため息と、良く分からない悔しさと、ほんの少しずつ湧き上がってくる希望が、複雑に入り混じる瞬間である。1月になってちょっとずつ日が長くなる夕暮れ時は、今も昔も変わらなかった。

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隈研吾設計の新国立競技場の将来は、どのようになるのだろうと思う。新国立競技場とサッカーはこれからどのような関係を築くのだろう。注意深く、興味深くその関係性を見守りたい。