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チームワーク

チームワーク

 

第100回高校サッカー選手権大会が終わった。出場している選手だけでなく、スタンドにいる部員も含め、チームとして1つになっていた高校がしっかりとした結果を残したのではないかと思った。そして指導スタッフ、保護者の関り方が、プラスαの力を生んだ。個人的には、チーム、組織について学ぶ機会が多い大会だった。

 

チームワークとはチーム全員がある目標に向かって必ずやりとげるという共通の精神を持つことであり、ただ観念的に持つというだけでなく、その意味を認識し理解し、しかも心から共感して信奉し、自分から積極的に協同行動を行うまでに昴揚されたものを持つとき、チームワークは完成する。またチームは各プレーヤーに共通精神を持って協同行動をとることを自然のうちに強要する。人間の精神というものは、各人がこうした共通精神と目標を持った協同行動に自ら参加し活動するときに成長するものなのである。

 

指導者が導き、選手が気付き、1つにまとまり、大きな力となった時にチームが機能するように思う。こういた精神を持つことが社会に出た時に、スポーツをしてきた者が強みとして誇れるような気がする。

自分のストロングポイントが活かせるのは、周りの選手がいて初めて活かされるのであり、自分1人では何もできない。見えない力が積み重なって初めてゴールが生まれるし、ゴールを許さないプレーにつながっている。

 

山梨学院が初戦で敗退したのもそこが原因であり、青森山田が優勝したのもそこを基盤として積み上げたからだと思っている。そう考えるとサッカーは難しい。勝利はピッチに立った選手だけのものではなく、チームだけのものでもない。101回大会に向けて、全国の高校がスタートをしている。チームの中の1人の選手として、どのような心持でトレーニングに取り組み、仲間と関わるのかを考えることが、試合中のプレーに如実に現れる。何も考えないでがむしゃらにサッカーをする時代は、とっくに終焉している。そして現在のスタートにおいて、誰もリードしている訳ではなく、誰も遅れをとっている訳ではない。スタートが遅れていると思っている選手がいたら、それは自分自身の問題である。スタート地点は一緒であり、自由で厳しい競争を勝ち抜いた選手がピッチに立てる。何が起こるか予測がしにくいサッカーである。頭角を現す選手が出てきても何も不思議ではない。部員全員にチャンスは平等にある。