ニラニスタ発・蹴球思案処

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追悼 小嶺先生 小嶺本3冊

サッカー本 0089

小嶺忠敏 3冊

 

高校サッカー界の名将、小嶺忠敏先生が死去した。ご冥福をお祈りすると共に、小嶺先生の本を紹介する。

『動 小嶺忠敏のサッカー熱い風』

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著 者 大貫哲義

発行所 日本テレビ放送網株式会社

1992年3月25日発行

 

『国見発 サッカーで「人」を育てる』

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著 者 小峰忠敏

発行所 日本放送出版協会

2004年8月10日発行

 

小嶺忠敏 情熱サッカー主義』

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著 者 田中 耕

発行所 西日本出版社

2005年7月29日発行

 

小嶺先生の訃報を知り、改めて本を開いた。自分の知らないところで、小嶺先生の人間教育に重きを置く指導理念だったり、サッカーに向き合う姿勢や考え方にかなり影響されているなと感じた。無意識に血となり肉となっていて、僕が口にしたり文章にしたりする言葉は、小嶺先生の言っていることの二番煎じであると思える。

 

小嶺先生が全国区になってからは、多くの元Jリーガーの話や取材の記録が残っているので、教員になるまでの小嶺先生について僕の好きな所を記す。

 

小嶺は、父忠則、母ミツキの末っ子として生まれた。生家は農家で、兄4人、姉2人の7人兄弟であった。

忠則は、小嶺が母の胎内にあるうちに、第二次世界大戦のために召集され、沖縄決戦に参加し玉砕した。父の戦死後、3か月して小嶺が生まれた。

 

小嶺家は大国柱を失い、敗戦後の農地改革で農地の大半を取られてしまい、母1人だけでは農業をやっていけないために、長男が高校を中退して農業の手伝いをした。次男、3男、4男、姉2人は中学を卒業し、就職をする。兄たちが忠敏だけは高校にやってやろうと決断した。

 

島原商に進学した小嶺先生は、3年生の時に運命的な出会いをすることになる。合宿で島原に来ていた大商大の上田監督の目に止まり、大学に勧誘された。就職をするつもりでいた小嶺監督の心が揺らいだ。

 

「いいか忠敏、兄ちゃんたちも姉ちゃんたちも、誰一人、高校に行かんと働いてくれてるんだ。いつまでも甘えてるんじゃない」

母には他の兄弟たちへの気兼ねがあった。大学へ進ませてやりたくても、行きな、といえる立場ではなかった。

それは小嶺にも分かっていた。が、それこそ、サッカーを続けられる可能性が1%でもあるなら、粘ってみたい心境だった。

「なあ、母ちゃん。せっかく大学の先生が誘ってくれたんだ。どっか見所があってのことだろう。出来るかどうか考えてみようじゃないか。兄ちゃんに任しといてくれ」

長男の一人(かずと)が前向きの気持ちを見せてくれた。それで母も折れた。

 

小嶺先生が人生の師と仰ぐ大商大の上田亮三郎との運命的出会いが実現し、さらにサッカーに情熱を注ぐことになる。大学卒業後に母校に赴任しサッカー部のコーチとなる。監督は大商大の上田亮三郎と大学時代の同級生であり、恩師でもある瀬戸哲だった。

サッカー熱はさらに増し、2年後にはJFA主催の第1回コーチングスクールに参加する。そこでも運命的な出会いを果たすことになる。同部屋になったのは静岡の堀田哲爾先生と静学の井田勝通先生だった。その2年後にはヨーロッパ研修ツアーに参加し、さらに親交を深めた。井田先生とはヨーロッパ研修でも同室だった。

 

私財を投げ打ってマイクロバスを買った話(1978年当時、325万円で購入したマイクロバスの写真が載っている)、遠征でのエピソード(相手校のグランド隅でご飯を炊いたり、寺に泊まらせてもらったり、風呂に入れなかったのでバスの中の匂いが半端なかった)、寮の話(自宅での寮から始まり、廃業した病院を借りたり、マイクロバスでの送り迎えだったり、烏兎寮になるまでのことだったり)と直接はサッカーに関係ない多くの苦労話が載っている。

 

私は教え子の面倒はとことん見てきましたが、自分の3人の娘に関しては、1度も風呂に入れたことがなければ、運動会も授業参観も行ったことがありませんでした。なにしろ朝も夜も、平日も日曜も、盆も正月も家にいないのですから。学校が試験中、練習がないので早く家に帰ったら、娘から「お父さん、どうしたの。具合悪いと?」と聞かれたこともありました。家族旅行もしたことがなく、家庭教育に関しては、本当に父親失格です。でも、私の育った環境もそうでしたが、親が自分の働く姿を見せることが「最高の教育」だと思っています。

いま振り返ってみると、妻には子育ての面でも、寮母としても苦労をかけた。本当に感謝することばかりです。