ニラニスタ発・蹴球思案処

蹴辞逍遥・晴蹴雨蹴

1人でも

1人でも

 

弱い自分に負けて、手を抜いてしまうことがある。また気分次第で、さぼってしまうことがある。チームとして、組織として1人でもそのような人間がいると、それを許しているチーム、組織とみなされてしまう。たとえどんなに良いプレーをしたとしても、本気で取り組んでいる仲間に対し、とても失礼な行為である。自分自身のためにならないだけでなく、チームに迷惑をかけることを考えたならば(もちろんそのような選手は考えないだろうけど)、上手い選手であってもマイナスの分子となる。個性がある選手は独自のものを持っていることは認める。けれど個性と言うものは、チームの中で生かされて初めて意味があるものである。チームとかけ離れた個の能力の発揮が、集団スポーツとしてのサッカーにおいて、何の意味があるのだろう。

サッカーの上手い下手は関係ない。実現すべき目標に向かって、常に全力で取り組む姿勢(心)は、全選手が同じような高いレベルでありたい。スタメンは上手い選手が上から11人出場できるわけではない。精神性に優れた選手がいて、その見えない部分で全選手が心一つになっているならば、強いチームとなる。実際のところ、試合に出場できている選手はそのような部分で秀でているとも言える。

弱い自分は誰でも持ち合わせている。弱い部分を認め、今、自分に何が足りないかが自覚できれば、今の自分より前に進むことが出来る。気分が乗らない時やモチベーションが上がらない時は、夢や目標、自分が到達すべき場所に想いを巡らせてみる。本気で実現しようと思えば、とてつもないエネルギーをもたらせてくれるものである。

心一つになったチームは強い。1人でもチームのベクトルに合わせることが出来ない選手がいたならば、勝利は遠いものとなる。選手個々の目標が、チームの実現すべき目標と同じであれば、そう簡単にはやられないチームになる。