ニラニスタ発・蹴球思案処

蹴辞逍遥・晴蹴雨蹴

この年代は

この年代は

 

f:id:nirasakishikibu:20210128203020j:plain

ひっそりと山梨学院優勝お祝い会が開催され、また貴重な写真が発掘された。

写真を見て、わざわざ細かいことをいろいろと述べる必要もなく、どの時代もどの部員にも青春時代というものがあった。

着ているユニホームを見ると、記念撮影なのにこのユニホームを着なくてもいいのにと思う。本来着るべき、または着たいと思うユニホームは、やはり畏れ多くて身に付けることができなかったのだろうか。

おっかない先輩、どう見ても高校生っぽくない先輩がいる。横森監督の若さからすると、我々の時代より少し上である。どうでもいいことだけれど、写真奥にはセブンイレブンはなく、カップラーメンの自動販売機がある小屋があった。池田屋のおばちゃんも専務も若かった。

先輩方に、その当時の話を聞くと、サッカーをしたくても学校に来られない部員がいたようで、我々の時代と同様、悪いことをすれば学校に来られない。サッカーはとびきり上手いのに、学校を辞めてしまった先輩もいたし、学校を辞めないまでも部活動停止になった先輩や仲間は、かなりの数だったように記憶する。昔の話になって「あの時、何でいなかったの?」という問いに「あの時は、停学中だった」、「あの時は部活停止だった」と答える仲間がいて、当時を懐かしむには面白い話題である。

学校をさぼったり、授業を受けないで学校を抜け出したり、部室や韮葉館で寝ていたり、今の高校生より自由にやっていたような気がする。だから勝てなかったと言われても、返す言葉はない。勉強なんて全然しなかった高校時代だったので、先輩に「俺もしたことがなかった」と言われると、サッカー以上に親近感と仲間意識を強く感じることができる。

その一方で「どうしてこいつら、勉強しないのかな」と思っている仲間がいた。もちろん社会人になってから、そういった疑問を持った仲間は、世間でいう立派な職業に就いているし、物質的に豊かな生活を送っていることは事実である。

後悔は付きものなので、今更くよくよしても仕方がない。良い意味でも悪い意味でも、この3年間があったから今の自分がいると思い直したい。そして傍から見れば薄汚れていたのに、間違いなく輝いていた日々であったと思える。・・・・と今でも思っているバカなままの・・・・。