ニラニスタ発・蹴球思案処

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Mリーグ 2020

Mリーグ 2020

 

あくまで個人的なことだけれど、僕の中ではすっかり魅力を失ってしまったMリーグである。もちろんMリーグそのものの存在が魅力がないというのではなく、韮高が闘うMリーグという意味合いで、魅力がないというより興味がなくなってしまった。例え優勝したとしても・・・。

今年はメディアも大きく取り上げることはなく、ひっそりと終えたようだ。韮高は決勝まで進み、帝京三に0-3で敗れたらしい。Mリーグそのものの存在意義、大会開催趣旨を逸脱して勝負にこだわるならば、選手権前では、0-3は最悪の結果だろう。選手権に向けての戦略的な試合、戦術的な内容を重視するならば、帝三の底力を見せつけられた。そして帝三の仲間を思う気持ちの前に、韮高は惨めにも敗れ去った。

 

日本サッカー協会(JFA)が掲げる、理念・ビジョン・バリューがある。その中に「JFAのバリュー」~サッカーファミリーが大切にしていく価値観がある。さらに細かく見るとフェアという文言がある。

 

フェア

オープンかつ誠実な姿勢で公正を貫くこと

スポーツは、国境や人種、言葉の壁を越えて多くの人々がその素晴らしさを享受できるもの。その前提となるのが、ルールを守ることであり、正々堂々と戦うことであり、偏見や差別のないオープンな心を持つこと、そして、不正や社会悪を許さない正しい心を持つことです。フェアでスポーツマンシップあふれる行動がスポーツの尊厳を守り、さらなる飛躍をもたらすと考えています。

 

韮高のMリーグの試合は、ルールを守っていたのか、ルールを守って正々堂々と闘っていたのか、偏見のないオープンな心を持っていたのか。もしかしたら優勝とか目先の勝利より大切なものがあったのかもしれない。目に見えないかけがえのないものがあったのかもしれない。Mリーグという大会そのものへのリスペクト、誠実さ、倫理観を見失っていたのならば、本当に大切なものは永遠に手に入れることはできない。

 

ピッチに当然あるはずの感動やそれに付随するごちゃごちゃしたよけいなもの、いらないものまでが、韮高のサッカーには存在しない。突き抜けられない理由はそこにはないかもしれないけれど、陽の当たらないところに目を向ける心と感性がなければ、本当の勝利はつかめないと思う。

 

 

ルールを破っても勝ちたいと思うことは、その「勝つ意味」を成立させている根底条件を否定することになり、そもそも勝利に意味がなくなることを示しています

 

 

豊かな人生は、勝ち負けという妄想の迷路を抜け出したところにあるのです