ニラニスタ発・蹴球思案処

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一生懸命

一生懸命

 

僕はサッカーがへたくそだけれど、一生懸命にする選手が好きである。

例えば小学生。U-12の選手で、すぐにスキルを身に付けることができる選手とそうでない選手がいる。何回やってもなかなか自分のモノにならない選手が、繰り返しそのスキルを身に付けようと一生懸命に取り組む姿は、微笑ましい風景である。

 

例えば中学生。ジュニアユースの選手の個人スキルは、小学生に身に付けた選手とそうでない選手は大きく開きがある。とはいえ、この年代ではまだその遅れを取り戻すことが可能である。「そんなことできないの」と仲間から言われても、一生懸命にトレーニングをする姿勢は、サッカー以外の生活でも大きく広がるのではないかと思う。

 

韮高の場合。他校の応援者からは「韮高は上手い選手がいていいね~」と羨まれるけれど、少しも上手い選手だと思ったことがない。うまければプロになれるだろうし、もっと上を目指してサッカーをしているはずである。そしてそのような集団だったならば、選手権にもとっくに出場していただろう。

僕は、「上手くはないけれど、一生懸命にする選手はいます」と言うことにしている。

一生懸命な選手は、チームに良い風を吹かす。一生懸命にトレーニングに励む選手は、自分だけでなく仲間にも大きな影響を及ぼす。自分自身に常に厳しくできるということは、良い人格を形成できる。一生懸命に取り組めるということは、良い習慣を身に付けるための基礎になる。

仲間に与える影響は大きい。たとえ試合に出場できなくても、その姿は仲間や後輩が目にして心を動かされないはずはない。損得抜きで、一心不乱にサッカーに打ち込むことは、サッカーというスポーツを超えてこれから生きていく人生において、何かしらの大きな心の拠り所となる。

 

言うまでもなく、うまさと強さは違う。へたくそな集団が一生懸命にしないで、どうしてうまいチームに勝てるのだろうか。一生懸命にすることは当たり前で、当たり前のことを当たり前にすることが、うまい選手に、うまいチームに勝てるスタートとなる。

 

コロナの期間中の経験は、サッカーに携わる人が日本中で実体験として味わっている。「サッカーができなかった経験」を残されたサッカー生活で「どのように活かすか」が勝負の行方を左右するのではないかと思っている。

 

 

雑草というのは、その美点がまだ発見されていない植物である

 

雑草という草はない