ニラニスタ発・蹴球思案処

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TUTTO BENE

TUTTO BENE

 

ヨーロッパでは主要国のリーグが再開され始めている。日本でもスポーツ界全体が動き始めている。サッカーに限らず、スポーツというものはそんなにヤワではない。サッカーにおいては、根強さというものは相当のものがあると思っている。ある種の麻薬性みたいなものさえ感じられる。

 

レーニングが始まった。コロナ期間中のツケを払うことになるのは目に見えている。プロの選手でさえ、ベストコンデションを維持することは難しいコロナ期間であったと思える。そうであるならば、アマチュアの選手はより一層、その雰囲気は強い。どうせたいしたことをしていなかったコロナ期間である。普段やれないことに挑戦する期間でもあるにもかかわらず、振り返ってみると「一体、何をしていたのだろうか」という日々の連続であったと想像できる。コロナ期間中の「先を見通す力」はどのようなものであったのかは、これから分かる。

 

インターハイは中止になってしまったものの、高校サッカーにはまだ選手権大会が残されている。全国にはサッカーも野球も強豪校という高校はたくさんではないけれど存在する。野球、サッカーという種目の違いはあるにせよ、高校3年間を目標や夢の実現のために努力してきた仲間がいる。高校野球の球児は、春・夏の甲子園が目の前から消えてしまった。サッカー強豪校の中には、そういった境遇に遭ってしまった仲間がいる高校がある。山梨学院もそうである。甲子園の夢が絶たれる現実を味わった仲間が身近にいる高校は、サッカー部として勝負強さはさらにパワーアップするものと考えている。自分のためだけではなく、仲間や支えてくれた者の分まで頑張る力を発揮するからである。

 

残された時間は限られている。限られた時間の中での成長が勝負の行方に左右するのではないだろうか。誰もが知っているけれど、すぐにはサッカーは上手くならない。そう簡単には上達はしない。小手先のテクニックや、インスタントの戦術ではトーナメントの上には進めない。おそらく今年の勝者は「勝負強さ」を兼ね備えている高校になるだろうと考えている。

 

「勝負強さ」を考えた時に浮かぶことは、「前向きな開き直り」であり、「論理やデータを超える直観」であり、カッコ良く言えば、「フットボール・ファーリング」である。そして、勝負強さは日常そのものである。日常のメンタリティーが勝敗を分ける瞬間に現れる。日常のトレーニングの積み重ね、日常生活の積み重ねが、勝負どころを読む力を育む。

 

言葉は力を持つ。「ANDRÁ TUTTO BENE」は、イタリアだけでなく、日本のサッカーにも力を与えてくれると思う。