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第58回全国高校サッカー選手権 ハイライト

第58回全国高校サッカー選手権 ハイライト

 

山梨県では緊急事態宣言が1ヶ月ぶりに解除された。普通の生活に戻るのにはまだ時間がかかりそうである。もう少し映像で過去を振り返る。

 

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この1979年(昭和54年度)の韮高は関東大会、インターハイは県大会で敗れていた。インターハイ県予選は初戦敗退という驚きの結果だった。夏には北海道、室蘭大谷へ遠征合宿をして冬の選手権に標準を絞った(この時の今は懐かしい話を聞くのも面白い)。

 

開会式から始まる映像では、なぜか帝京はカナリヤ色のユニホームではなく赤である。

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準々決勝の水口戦が映像に残されている。先制されるも2-1で試合をひっくり返しベスト4進出となった。大宮サッカー場の応援席には、今でも健在の横弾幕がある。今でこそ県内の試合では目にする弾幕ではあるけれど、我々の時代は、この横断幕は県内の試合では目にすることはなかった。全国大会用(選手権)であった。

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10年ぶりの選手権ベスト4であり、首都圏開催以来、韮高が初めて足を踏み入れる国立のピッチだった。対戦相手は愛知高校。『高校サッカー不滅の名勝負』という雑誌の中で、各都道府県の「我がふるさとのベストゲーム」の愛知県の名勝負には、この韮崎-愛知が選ばれている。

愛知戦で韮高ベンチが映る。その顔ぶれは、今見ても見応えがある。前半はスコアレス、後半は先制、追加点と2点を先制し、終了間際に1点を奪われるも2-1で27年ぶりの決勝へたどり着いた。

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決勝は5万8千の大観衆が詰めかけた。27年ぶりの決勝に勝ち進んだ韮高のキャプテンは滝田さんだった。その滝田さんのお父さんは韮高サッカー部である。偶然にも滝田さんの父が選手権決勝へ進出して以来だった。親子2代で選手権の決勝のピッチに立つことは羨望しかない。

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人間の心情は、いつの時代も変わらない。40年前も選手権を目標として自らを奮い立たせた選手がいて、現在もそれを目標にして頑張っている選手がいる。応援する人も同じである。過去の韮高の試合のスコアや、得点した選手を記憶する必要はない。日本一を懸けて闘った過去があるということを、しっかりと心に刻むだけである。