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『わが青春のサッカー』

サッカー本 0062

 

『わが青春のサッカー』

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 著 者 堀江忠男

発行所 岩波書店

1980年2月20日発行

 

10代をターゲットにした岩波ジュニア新書の本であり、このシリーズとしては13冊目の本である(2019年に40周年を迎えている)。比較的読みやすく、著者の青春時代のサッカーを辿ることにより、その時の世界の情勢、歴史の移り変わり、日本のサッカーの歩みが分かる。

 

昭和の初めごろは、小学校6年の義務教育が終われば、社会に出て働くのが普通で、中学校へ進む者の割合は今の大学進学者より少なかった。

 

著者のサッカーを始めた頃は、まだスポーツをやることのできる人間はごく一部だけであった。そんな中、早稲田大学へ進学しサッカーを続けた。そしてサッカー日本史でも重要な「ベルリンの奇跡」と言われているベルリンオリンピックのメンバーに選出された。

ベルリンオリンピックでのスウェーデン戦に勝ったことも、もちろん興味深いけれど、この当時の時代背景がさらに興味深い。ベルリンオリンピックのメンバーに選ばれた後、二・二六事件が起きたこと、ドイツへ向けて出発したルートが満州~シベリア経由でモスクワまで1週間もかかっていることなど、第2次世界大戦へ向かう前の世界を肌で感じている。

そして支那事変が勃発、召集令状が届き中国の戦地での生活、第二次世界大戦突入、そして敗戦、著者は6年間もサッカーから離れた生活を送った。

 

1946年(昭和21年)の冬から春にかけてといえば、飢えをしのぐための食糧買い出しに血眼になっていたころだが、好きな道のことだから、みんなで寄り集まってまたサッカーが始まった。私が戦後最初のゲームをたのしんだのは、帰国してからひと月ほどたったときだ。場所は東大御殿下グランド、相手はイギリス大使館の人びと、こちらは昔私と一緒にオリンピックへ行った仲間とその前後の年配OBだった。

試合の結果はおぼえていない。そんなことはどうでもよかった。生きてもう一度サッカーをやっている。・・・・それだけでこみあげてくる喜びに身体がまい上がりそうな気持だった。

 

1949年(昭和24年)には、戦後初となる『サッカー・理論と技術』を加茂健との共著で出版。本書にはその序文が書かれている。サッカーの進化はサッカーというスポーツを考える人間の進化でもあることを、考えさせてくれる本である。