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『「ダイヤモンドサッカー」の時代』

サッカー本 0059

 

『「ダイヤモンドサッカー」の時代』 

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著 者 JDFA(ジャパン・ダイアモンド・フットボール・アソシエーション

発行所 株式会社エクスナレッジ

2008年2月25日発行

 

この本の紹介文として、本書のプロローグがすべてを書き尽くしているので、抜粋する。

プロローグ なぜ、いま「ダイヤモンドサッカー」なのか

日本初の海外サッカー専門番組「三菱ダイヤモンドサッカー」の放送が開始されたのは、日本におけるサッカーがマイナースポーツであり、ヨーロッパ各国のプロリーグに関する情報も極めて少なかった1968(昭和43)年のこと。

同番組は、世界各国のトップリーグや国際大会から選りすぐりの好カードを放送し、日本のファンに本場のサッカーを知らしめた。司会を担当する金子勝彦氏による歯切れのいい実況と、当時日本代表チームのコーチを務めていた岡野俊一郎氏による深みのある解説が話題を呼び、結果として、国内での海外サッカーの認知度は飛躍的に向上。一般のファンにサッカー用語を浸透させたばかりか、世界各地のサッカークラブの存在価値や意義、さらにはその文化的背景にまでをも解説した同番組は、放送スタイルだけでなくその存在自体が唯一無二のものとして、多くのファンに愛された。

(略)現在に至る日本サッカー界の躍進を支えてきた多くの選手・関係者たちは、みな一様に「この番組を見て育った」と口を揃える。20年間にわたる放送の歴史に幕を下ろした1988(昭和63)年以降も、関係者により「ダイアモンドサッカー」の功績は語り継がれてきた。

(略)第3章では、サッカーと関係の深い12人の角界著名人に、自身のサッカー観と、番組との関わりについて語ってもらった。このインタビューを読めば、「ダイヤモンドサッカー」の遺伝子が世代や立場を超えて受け継がれ、今も各方面から日本サッカー界を支える原動力となっていることがわかる。

(略)本書を通読することで、「ダイヤモンドサッカー」とともにあった日本サッカーの歴史を体感していただければ、と思う。往年のサッカーファンなら、懐かしい時代に思いを馳せ、サッカーへの情熱を新たにすることができるだろう。また若い世代なら、日本サッカー黎明期の熱気を知ることで、新たなサッカー観を構築していただけるはずだ。

 

かく言う僕も「ダイヤモンドサッカー」に啓発された1人である。世界のサッカーへの入口であり、毎週土曜日の夕方には、テレビの前で本場のサッカーを体感できた。スタンドで声を出して応援するファンの姿や発煙筒の煙などは、衝撃的だった。

「ダイヤモンドサッカー」は45分番組だったので、前半、後半を2週に分けて放送した。本書の第4章は1968~1988年までの全放送記録がある。70年ワールドカップメキシコ大会の全32試合中、26試合を1年かけて放送した。74年の西ドイツ大会も全38試合中の33試合を1年2か月かけて放送した。また78年アルゼンチン大会も7ヶ月かけて27試合を放送した。まさに夢のような番組だった。

80年代にはインテル・ミラノユベントスの試合(当時はインターミラノと言っていた)日本初のセリエAの放送があった。もちろんバルサ-レアルのクラシコも放送した。

 

現在は、本場ヨーロッパにいるよりも、各国のリーグを多く見ることのできる時代になってしまった。そんな中、「ダイヤモンドサッカー」のオープニング曲を耳にするだけで、当時の時代に逆戻りできる。良いか悪いかは別として、そういった時代があったということは、いつまでも忘れないでいたい。

 

サッカーを愛するみなさん、ごきげんいかがでしょうか

 

 

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