倒れない選手
【すぐ起きるのがかっこいい ~いつも心にリスペクト Vol.72~】
https://www.jfa.jp/respect/heart/news/00021354/
サッカーにはひとつとして同じ試合はなく、何十年間見ていても毎試合新しい場面に出くわします。しかし1月のアジアカップで心から驚いたシーンがありました。半世紀以上サッカーを見てきて、似た場面さえ記憶がないシーン。それは準決勝の日本代表対イラン、後半11分のことでした。
FW大迫勇也からスルーパスを受けたFW南野拓実が突破を図ります。ペナルティーエリアに入ろうとするところでイランのDFカナニがタックル、南野はエリア内に倒れ込みます。
それを見たカナニは両手を挙げて主審の方に振り向き、「ファウルなんかしてないぞ」とアピールします。南野を追ってきたイランの2人のDFも同じように足を止めて主審に「シミュレーションだ。イエローカードだ」と詰め寄ります。なんとこのとき、5人ものイラン選手がオーストラリア人のビース主審を取り囲む形になりました。しかしビース主審は、まったく違ったものを見ていました。
倒れ込んだ南野でしたが、ファウルのアピールをするわけでもなく、ついた手で素早く立ち上がり、コーナーに向かって転がったボールを追っていたのです。
イランの5選手が気づいたのは、南野がボールに追いつき、ターンしてクロスを入れようとしているところでした。タイミングを逃さずに入れたクロスは、走り込んだ大迫の頭にぴたりと合い、日本の先制点となったのです。
現代のサッカーで最も醜いもののひとつが、PKをもらうためにファウルを受けたように装って倒れる「シミュレーション」であり、実際にファウルがあったときに相手により大きなペナルティー(PKやイエローカード)を課そうと大げさに痛がったり、倒れたまま起き上がろうとしない選手たちです。そうした光景は、どんな試合の中でも繰り返し見ることができます。
巧妙なシミュレーションでPKを獲得し、勝利を得ることがあるかもしれません。大げさに痛がることで主審の判断を迷わせることもあるでしょう。倒れたままでいることで、時間かせぎをして勝利に近づいていると思う選手もいるかもしれません。こうした行為で「得する」と思う選手がいるから、懲りることなく毎試合続けられているのだと思います。
しかしそれはサッカーというゲームに対する「リスペクト」に欠ける行為、サッカーにとっての「自殺行為」であることを知らなければなりません。こうした行為はサッカーの魅力を損ないます。ファンはもちろん勝利を願っていますが、それ以上にすばらしいパスワークやテクニック、思いもつかないアイデアを待ち望んでいます。シミュレーションや倒れたままの選手たちは、そうした期待を裏切っているのです。
しかし現代のサッカーは、チャンスさえあれば倒れてPKを取ってやろうとする選手や、大げさに痛がったり倒れたままで居ることで目の前の利益を得ようという選手であふれています。それがあまりに当たり前だからこそ、軽い接触で南野が倒れ込んだとき、イランの選手たちは疑うことなく彼がPKを得るためのシミュレーションをしたと思い込み、その場で足を止め、何にも優先して主審へのアピールに走ったのでしょう。
ところが南野は、ボールを追いかけることしか考えていなかったのです。少しでも「倒れて何か得をしよう」と考えていたら、あれほど素早い立ち上がりはできなかったでしょう。プレーに集中しきっていた結果、考える間もなくボールを追っていたのです。
当たられても倒れない強さがあれば一番いい。しかし倒れてもすぐに起き上がり、ボールを追う姿勢は、本当に「かっこいい」と思います。そうした姿勢でプレーする選手は成長を続けられるでしょう。そしてそうしたプレーを促すチームは、自分たちのサッカーをどんどん進化させていくことができるでしょう。
南野の「サッカーに対するリスペクト」の姿勢が先制点につながることで報われたことに、私は大きな満足と誇りを感じました。
寄稿:大住良之(サッカージャーナリスト)
※このコラムは、公益財団法人日本サッカー協会機関誌『JFAnews』2019年4月号より転載しています。
長すぎる前置きはこのくらいにして、「倒れない選手」「力強い選手」として思い浮かぶのは、アグエロだろうか。もう一つ、前置きをする。
【アグエロが簡単には倒れない理由】
https://www.nikkansports.com/soccer/world/column/chiba/news/f-cl-tp0-20141029-1388991.html
マンチェスターCのアルゼンチン代表FWセルヒオ・アグエロ(26)は「簡単には倒れない男」として知られている。優勝を決めた11-12年シーズン最終戦・クイーンズパーク戦でのゴールも、ペナルティーエリア内で相手DFに足を引っ掛けられたが、ひるまずにシュートを打った結果だった。
アグエロが英ミラー紙(電子版)に手記を寄稿し、「なぜわざと倒れないのか」ということを説明している。最近ではブラジル代表FWネイマールが「あまりに簡単に倒れすぎる男」として批判の対象となっているが、アグエロのサッカーへの取り組み、考え方がとても印象的なので、ここに一部を紹介したい。
◇ ◇ ◇
僕にはわざと倒れたり、主審をあざむいたりすることが理解できない。そんなプレーはしたくないんだ。
もちろん多くの選手がそれをやっているのは知っている。自分だって、スピードに乗って2~3人を抜いた後にタックルを受け、転倒を余儀なくされることもある。
でも、そんなのは僕のプレーじゃない。それはプライドの問題だ。DFに追いつかれても、最後の最後までゴールを目指して進みたいからね。
友人や家族から『なんで倒れないんだ? PKをもらえただろ?』って聞かれることもある。でも正直に言うと、どうやって倒れたらいいかも分からないんだ。だから、もしやったら、主審にバレてイエローカードだろうな。
子供の頃の出来事が僕のプレースタイルを決定したのかもしれない。よく家の隣のデコボコな空き地でプレーをしていた。だから自然とバランスを取るのがうまく、倒れにくくなった。
それに、空き地には主審はいないだろ! だから倒れても意味がないんだよ。プレー続行で、FKなんかもらえないからさ。
◇ ◇ ◇
よく、日本のサッカーには「マリーシア(ずる賢さ)」が足りないと言われる。だが、主審の目をあざむくようなプレーが、サッカー本来の魅力を奪っては本末転倒だと思う。我々がネイマールに感動するのは、「そんなことできるの?」という想像をはるかに超えたプレーによるのであって、弱々しく倒れてPKを獲得する姿ではない。
プレミアリーグが世界最高のリーグと言われる一因は、接触プレーでも主審が簡単にはファウルを取らず、お互いの意地が激しくぶつかり合う、男くさいリーグだから。アグエロのプレースタイルは、まさにプレミア向きと言えるだろう。
僕の中で「倒れない選手」の1番は、南野でもアグエロでもなく、なんて言っても中田英寿である。ヒデはため息が出るほど美しく倒れない選手だった。フィジカルの強さとか体幹の強さとか天性の素質もあるかもしれないけれど、まずもって意思の強さがあった。「倒れないこと」が自らのプレ―哲学と言っていいほどのプレースタイルを確立していた。
プロでもない選手が、審判にアピールしたり、転んでもすぐに立ち上がってプレーしないでいる姿を目にすると、なぜかとても悲しくなる。「あぁ~、この選手は勘違いしているな」と思う。1人の大げさに痛がっている選手のために、他の21人のピッチに立つ選手の時間を使うことは、はっきり言って無駄である。
改めて韮崎のサッカーを考えた時、まっさきにプレーモデルとして見習わなければならないのは、中田英寿のプレーである。汚いプレーはしない、笛が鳴るまでプレーを続ける、文句は言わない、といったシンプルで選手が意外と出来ないことである。そしてその先に、積み上げていくものがあると思っている。
倒れることが嫌いなのは、単にそれが全然美しい行為ではないからですよ。第一、時間稼ぎならば、時間を把握して、残り時間を計算した上でやらなくてはいけないわけでしょ。稼いだためにとんでもないことだってあるんですよ。痛がって寝て時間を稼ぐなんてキレイなことではない。まあ、ただの負けず嫌いとも言えるんだけど。
とにかくセリエAに来てみて、結構コロコロと倒れる選手が多いんですよね。いい選手もいるけど、プレーヤーとして尊敬はできないですね。サッカー選手はよっぽどでなければ倒れてはいけないんじゃないかって思う。オレは死んでも倒れない。そのくらいの強い気持ちでなければ試合に出てはいけないと思って、ここまでやってきた。
少なくとも、自分がもし寝ていることがあったり、担架に乗るようなことがあれば、それはもう本当にサッカーができない、それを意味します。