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『木曜日のボール』

サッカー本 0057

 

『木曜日のボール』

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著 者 近藤 篤

発行所 日本放送出版協会

2001年7月30日発行

 

ネットでの情報収集が当たり前の現代である。その前の時代はTV、新聞、雑誌からの情報が主であった。この本は今では月刊誌となってしまった『サッカーマガジン』が週刊で発売されていた時代に、「木曜日のボール」題して連載されていた(2000.3~2001.6)の中から40篇を選び、新たに15篇を書き下ろして出版された本である。

僕は小さいころ頃から『サッカーダイジェスト』派であったので、『サッカーマガジン』は立ち読みの雑誌で、この頃は「木曜日のボール」のフォトエッセイに目を通すことを毎週、楽しみにしていた。

写真のことはよくわからないけれど、著者の文章は軽すぎず重すぎず、まるで履き心地の良いスパイクのようにピタッとはまり、そして馴染んだ。

 

初めのページから読む必要はなく、好きなところをパラパラめくって心に留まった写真から文章に入ってもいいし、文章を読まなくても写真だけゆっくり眺めることもできる。文章では表現できないサッカーボールや人の表情が、癒しや活力やひらめきを与えてくれる。

携帯で動画をすぐに入手できる現在にいたっては、本をそっと手に取り、ページを開き、写真を眺めるといった時間が昔より必要なのかもしれない。

 

世界中を歩き回り、シャッターを押したフォトエッセイ集の中で、僕の一番お気に入りのエッセイを最後に載せる。

ヌビア人

エジプトとスーダンの国境にはヌビア人と呼ばれる人々が住んでいる。ヌビア人古代エジプト時代、勇猛勇敢な戦士として知られていた。

 アスラムさんは子供が4人いて、国営の電力会社に技師として働いている。給料は月500エジプト・バウンドだ。でも「小さいときにオヤジが死んだこともあって、俺はまともに勉強できなかった。だから、子供たちにはしっかりとした教育を受けさせてやりたい」ので、午前6時から午後5時半までアスワン空港のタクシー運転手として働き、そのあと午後6時に会社に出かけて夜の12時まで働く。そしてまた翌日は午前5時に起きて空港に向かう。いつも元気でいつも陽気で、観光客慣れしたエジプト人タクシー運転手のようにしつこくチップを要求することも、法外な料金をふっかけてくることもない。「ヌビア人の村で誰かがボールを蹴ってる写真が撮りたいんだ」と頼むと、「よしわかった!」と一言叫んで、ヌビア人の村をあちこち回り、村の人々に「どこかでボールを蹴ってることろはないかね」と訊ねてくれ、僕と同じくらい必死になってボールを探してくれる

 涼しい風の吹き始める夕暮れどきに、アスラムさんの友達のザメルさんの家の裏庭でチャイを啜りながら、僕が「エジプトであなたみたいな運転手の人は珍しいね」と褒めると、アスラムさんは少し照れながら「俺はヌビア人で、エジプト人ではないからね。俺たちももちろんお金のことは考えるけれど、でもそんなにしゃかりきにはならない。働いて、友達の家でチャイを飲んで、神様に祈って、フットボールのことを考えて、人生について少しだけ考えて、それでヌビア人は満足なんだよ」と笑った。

 アスラムさんの身体はとても大きい。強面の顔にはいつもちょっと時代遅れのサングラスをかけている。でもそのサングラスの下には、小さめで優しげな二つの瞳がある。