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新人戦 決勝 韮崎-山梨学院 思案

令和元年度県下高校サッカー新人大会決勝 韮崎-山梨学院

 

結果

2月8日(土)13:30キックオフ 日本航空

韮 崎 1-0(0-0) 山梨学院

 

12年ぶりの優勝にやっとのことでこぎ着けた。12年前は最後に選手権に出場した年である。その年は新人戦のタイトルを獲り、選手権に出場した最後の年であった。それ以来、今まで新人戦、選手権のタイトルに見放された歳月が流れた。長い、長い年月をかけてようやく手にすることのできたタイトルであり、全国につながらない大会ではあるものの、価値のありすぎるタイトル獲りであった。

 

新チームの1年生大会決勝の相手は同じく学院だった。結果は前半0-0、後半2失点後、1点を返し1-2での敗戦であった。学院は1年以上(インターハイで全国制覇をして以来)、タイトルがない。新人戦とはいえ全力で韮高を倒しに来るだろうと予想できた。

一方の韮高は新人戦初戦から毎試合失点を重ねる油断すると総崩れしそうなチームだった。勝ち上がるにつれチームスピリットは上向きになり、準決勝の帝京三には2004年インハイ以来の2点差をつけて決勝に勝ち進んだ。

 

試合は横風の強い中での闘いとなった。もし風が味方するならば韮高であると思っていた。結果的にもし風が吹かなかった試合だったら、学院が優勢だと思うのは間違いである。風が吹いても吹かなくても結果は同じで、むしろ強風の中だから1-0であり、そうでなかったらもっと点差をつけて勝っていただろう。

 

試合は終始韮高ペースであり、前半のシュートは(新聞によると)シュートゼロ。後半もミドルからのシュートはあったものの、全部とんでもない方向へ飛んで行った。学院にとって韮高のゴールは地球と月ほどの遠いものだった。

学院の攻撃の怖さは全くなかった。中盤での巧さはあるものの、ボールコントロールが巧いだけでゴールに直結する脅威は微塵もなく、選手も時間が進むにつれ「やれる」という手応えをつかみ、自信に変えていったと思う。

学院の選手は全国にうじゃうじゃいる巧いだけの選手の集まりに見えた。尊敬の念を込めて、かつての強さはなかった。韮高が全力で立ち向かっていってもハーフラインを越えられなかった防戦一方の時代は、平成の時代と共に終焉した。

 

何が韮高が良かったと言えば、中盤での守備であると思う。前線から最終ラインまでをできるだけコンパクトにして、中盤でのチェレカバを粘り強く繰り返した。守備の連動性と規律性が試合を通して安定していた。中盤での守備ブロックがはまり、ファーストディファンダーのアプローチの速さと強さがあった。ボールを奪いにいく積極的な守備を見ることが出来た。学院にとってはボールを持っているようでも持たされているような感覚だったように思える。

 

得点はアディショナルタイムが2分と表示された後に生まれた。中盤からのショートカウンター気味のボールがFWにつながり、DFを引き連れながらでも落ち着いて学院ゴールに突き刺した。この瞬間のために長く苦しい積み重ねの日々があると思えば、リアルに頑張れる気がする。

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おそらく長く韮高を応援しているファンにとってみれば、決勝で山梨学院を倒すことは積年の怨念にも近い、成し遂げなければならないミッションだった。10年ちょっとで、選手権、インターハイの全国制覇は、伝統校にとっては羨望でしかない。

ただ、現役の選手には学院を倒したことの意義は、普段の食事程度の事だと思っていい。全国にはさらに強い高校がたくさんある。全国の上を目指す足がかりにはなった。韮高でも堂々とやれるという自信とプライドは持ち合わせることができた。そのような意味合いでは、近くにいるライバルの山梨学院に感謝しなくてはならない。

 

令和元年、県総体、インターハイ、新人戦と3つのタイトルと、3つの優勝旗(新人戦に優勝旗があった)を手にした。けれど何かが足りない。3つの優勝旗を他の高校に渡してでも獲りたい大会がある。

おそらくこれからの日々の積み重ねの方が、今までよりも厳しく、苦しいかもしれない。乗り越えられそうにない壁や、立ち向かうことでさえできないと思うほどのプレッシャーや試練がある。まだまだがずっと続くほど、まだまだであるけれど、今年のチームは最後にはできると信じている。

 

凧が一番高く上がるのは 風に向かっているときである

風に流されている時ではない

                    チャーチル