たられば
令和の新時代に山梨県の代表の座に登りつめたのは、日大明誠だった。
サッカーは何が起こるか最後まで分からない。そして何が起きてもおかしくはない。それこそが、サッカーの魅力である。映画や小説に勝る結末が高校サッカー選手権の山梨県大会決勝で待っていた。
令和元年の選手権覇者は日大明誠となった。試合は、航空が思い描いた結果ではなく、明誠が思い描いた結果となった。
「たら」「れば」について考える。
試合中もっと敵によせていれば、ロングスローの時に集中していれば、もう少し右をねらってシュートしていれば、と望んでいない結果と現実に陥れられてしまった時は、「たら」「れば」が次々と浮かんでくる。
高校時代を遡っても同じである。1年の頃からもっと努力しておけば、あそこで怪我をしていなかったら、もっと自分に厳しくしていれば。悲しいくらいに後悔と悔いと未練がたらたらである。圧倒的すぎる現実と結果はなかなか受け入れにくい。
けれどちょっと視点をずらして「たら」「れば」について考えると、それほど捨てたものでもないかもしれない。
親からのサポートがなかったら、サッカーをやり遂げられなかった。
苦しかったトレーニングで、仲間に声をかけてもらわなかったら、ここにいなかった。
中学の時、進路選択の時に、韮高サッカー部を決断していなかったら、現在の自分はなかった。
過去の決断での「たら」「れば」があり、感謝の意味合いでの「たら」「れば」であったならば、たとえ負けてしまったとしても、高校3年間のサッカー生活は奥深く、実りは多い。
立ち止まることはしないで、じっくり、真剣に、いろいろな方向からサッカーを考える時間が必要かもしれない。
韮高が日大明誠に負けてしまった翌日の敗戦記事を読もうとして、目に留まった記事があった。
【2013.11.3 山梨日々新聞 風林火山】