ニラニスタ発・蹴球思案処

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9月28日とメモリーリーグ

9月28日とメモリーリーグ

 

世界中にはいろいろな記念日があり、人間個々にも忘れられないメモリアルな日がある。

9月28日は韮高サッカー部にとって、大切な日である(と思っている)。韮高サッカー部創部以来、最も早く選手権大会山梨県予選で敗れた日である。3年生の高校サッカー生活が最短で終わってしまった日だった。9月28日が来るといつも、9月で高校サッカー生活が終わってしまう人生とはどのようなものなのだろうと考えるともなしに考える。2年連続の初戦敗退は、信じられないというよりは、とてもあっけなかった。

 

近年、メモリーリーグと聞くと、『枕草子』第22段『すさまじきもの』に目を通す。

 

すさまじきもの、昼ほゆる犬。春の網代。三、四月の紅梅の衣。乳児亡くなりたる産屋。火おこさぬ炭櫃、地火炉。牛死にたる牛飼ひ。博士のうち続き女児産ませたる。方違へに行きたるに、あるじせぬ所。まして節分は、いとすさまじ。

 

清少納言の感性が光る「すさまじきもの」がこの後にも続く。nirasakisikibu的には、最後に『韮高サッカー部のメモリーリーグ。いとすさまじ』と付け加える。

 

最高学年の3年生の出場していない韮高サッカー部のメモリーリーグは、もはや見るに値しない。中学の頃、憧れた高校のサッカー部に入部し、誰に評価されずとも地道に努力を重ねた選手がどの高校にも存在する。試合に出られないことは、誰より自分自身が一番分かっている選手もいる。人一倍くやしく、つらい思いをした選手が、メモリーリーグという最後の試合に出場できない環境は、はたして健全な環境なのだろうか。

モリーリーグという3年生が主役の大会で、3年生がスタンドで大きな声を出して応援し、1、2年生がピッチに立っている韮高の試合は、清少納言も目を覆いたくなるだろう。毎年恒例となってしまったその環境は、どこか民主主義というより、独裁色が強い国の体制を連想せざるを得ない。または感性の欠如か情緒に欠陥があるのかもしれない。

試合に出られなくても、練習や日常生活での姿を見て、尊敬に値する先輩がいるはずであり、そういう先輩のプレーを目にして、声を出して応援したい後輩がいるのではないかと思う。

ドラマ性も期待感もワクワク感もない韮高のメモリーリーグは、選手権前にはできれば見たくない。言うまでもなく、今年もだらしのない結果に終わった。

モリーリーグは、選手権と同様、「すさまじきもの」、「あさましきもの」、「かたはらいたきもの」、「あじきなきもの」であってほしくない。令和になって何か変わるのかなと思っていたら、何も変わらなかった。