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『高校サッカー100年』1918-2018

2月サッカー本
 
高校サッカー100年』1918-2018
 

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編集者 (公財)全国高等学校体育連盟サッカー専門部
発行所 講談社
2019年1月29日発行
 
2019年スタートから超お宝級の本が出版された。本棚に飾ってあるだけで、存在価値がある本である。『高校サッカー100年』は、初版は発行部数8000部であり、手に入るだろうか心配していた(案の定いろいろあった)けれど、何とか紀伊国屋書店本店で手に入れることができた。入手前から思い出深い本となった。
 
2019年度の全国高体連サッカー専門部加盟校は4058校である。その中で韮崎高校は、1918年から2018年までの100年間で、全国でも屈指の伝統校である。今でもその名前は現在進行形として存在している数少ない高校の1つである。このことは、この本が史実として実証している。
 
この本を見ると、1918年(大正7年)第1回大会から1933年(昭和8年)第16回大会までの16年間は、まだ韮崎高校は登場しない。そして2008年(平成20年)を最後に、2018年までの10年間では、1度(2013年インターハイ出場)しか名前が出てこない。その空白の26年間を差し引いた74年間は、無作為にページをめくるだけで、韮崎高校の名前を頻繁に目にすることができる。とても幸せな本である。韮崎高校の図書館にも1冊置いておくべき本である。
 
高校サッカー100年』は、うっとりするほどの、きれいな装丁である。高校サッカーの大会100年間で、国立競技場が使用されたのは、37大会程だったけれど、その存在感と記憶は、現在でも強烈である。絶対に表紙にしなければならない高校サッカーの象徴である。
 
韮崎高校(韮崎中)が初めて全国大会に出場したのは、1935年(昭和10年)である。第17回大会で出場校は12校であった。関東代表として準々決勝で刈谷と対戦する。その時の面白い記述があるので抜粋する。
 
刈谷中にはこれまでユニホームがなく、軍隊で使用されていたような白の襦袢(じゅばん)に赤いタスキをかけて試合をしていた。試合中に相手に何度もタスキを掴まれて困っていたが、今大会の出場が決まり、初めて襟のあるシャツに赤いタスキを縫い付け、正式なユニホームができあがった。
 
全国大会での刈谷の新ユニホームでの初戦は韮崎というところが、歴史的史実として残っているところが心地よい。現在でも刈谷のユニホームは昔のままである。歴史の重みを感じるユニホームである。
 
韮崎高校で、個人名として名前が出ているのは、1962年(昭和32年)第41回大会の優秀選手に選ばれた仲二見三郎さんである。
1973年(昭和48年)には、第2回日本高校選抜海外遠征選手団の選手として、神谷壮一さんが選ばれている。神谷さんは、現在でもサッカーをしている生きたレジェンドである。
 
まだ読み進めている最中ではある。現在の高校サッカーの大会は、「全国高等学校選手権大会」・「全国高等学校総合体育大会サッカー競技」・「国民体育大会サッカー競技少年の部」・「高円宮杯全日本ユース(U-18)選手権大会」がある。時代と共に大会方式が大きく変わる中で、しぶとく「韮崎」という名前を残し続けている。全国でも数校(調べていない)しかない特筆すべき偉業である。
 
高校サッカー100年』のページをめくり、小さな字をしっかりと読むと、高校サッカー愛が深まると共に、韮崎愛もなお一層深まる。図書館で手に取ってほしい本である。