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『前育主義』 逆境でも前進できる人を育む

1月サッカー本
 
『前育主義』逆境でも前進できる人を育む

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著 者 山田耕介
発行所 学研プラス
2018年12月25日発行
 
高校サッカー界の名将の中で、絶対に読んでみたいと思っていた山田先生の本が先月にようやく出版された。「日本一勝負弱い監督」と呼ばれ続けられてきた山田先生は、36年目にして96回大会の選手権で日本一になった。折しも山田先生が学校長になった初年度に全国制覇を成し遂げた。93回大会には星稜に、95回大会には青森山田に決勝で敗れ、敗戦後の山田先生の姿を目にする度に、何とか優勝させてやりたいなと思っていた。その眼は何も語らずとも、全てを語っているようで、とても心が痛かった。
 
山田先生は長崎県国見町で生まれ、国見中-島原商-法政大という経歴である。国見中時代は、1つ下に小林慎二、2つ下に勝矢寿延がいた。島原商では小嶺先生の元、九州勢初のインターハイ優勝を成し遂げる。大学時代はキャプテンを務め、長崎の教員採用試験と総理大臣杯の準決勝が重なり、試合を選んでしまう。その流れから前橋育英の教員としての人生が始まる。この辺りは第2章「ルーツ」に詳しく書かれている。
 
第3章から最終章までは、山田先生の前橋育英での「逆境でも前進できる人を育む」情熱的な指導の軌跡と育成エッセンスが著されている。一読のみならず、何度もページを開くに価する内容である。サッカーの専門性もさることながら、「ピッチ以外の部分での行動が選手の価値」であり、「一番重要視しているのはサッカーの技術ではなく『人間力』である」と語っている。高校サッカーの長い人生の中での山田先生の経験則だから間違いない。
 
この『前育主義』という本が他のサッカー本と決定的に違うところは、山田先生の教育者としての人間味あふれる「選手を思う気持ち」が行間ににじみ出ているところである。そして最後の「回顧録」ではゆかりある方からの証言のラストに、山田先生の母親の山田シズエさんが登場する。その文章を読むと、山田先生も人の子なんだなと改めて思ってしまう。名文である。
 
【抜粋】
主人が心臓病の治療をしていた2001年に、家族に呼んでいただき群馬へ移り住みました。主人は2003年になくなりましたので、今では耕介と一緒に前橋育英の選手寮に住んでいます。チームは午前6時過ぎに選手寮前の駐車場で朝礼をしているのですが、朝礼の時間が長いと、耕介が朝からお説教をしているのではないかと心配になって窓からのぞいています。早朝から、怒鳴っていたら近所の迷惑になりますから。
試合の日には耕介の「ただいま」の声で、勝ったか負けたかが分かります。負けてしまったときは静かに帰ってきて、部屋へこもってしまいます。相当、悔しいのでしょう。そういうときは声を掛けずに、そっとしておきます。
私が群馬に来た2001年前後に、高校サッカー選手権で3度ベスト4に入りました。私は、チアガールの応援団のバスに乗って生徒と一緒に国立競技場へ応援に行きました。周囲から「今年は勝てる」とずっと言われてきまして、毎年ドキドキしながら祈るように試合を見ていました。
ここ数年は私も高齢になりましたので、会場には行けず自宅のテレビで観戦していました。2014年度と2016年度は決勝で勝てず、このまま勝てずに60歳の定年を迎えてしまうのかと思うと、自然と涙がこぼれてきました。この子は、勝ち運がないと本気で悩みました。~略~
優勝後には前橋市の中心商店街で優勝パレードをしてもらったのですが、バスを乗り継いで現地まで行きました。優勝パレードには3万人の方々が祝福にきてくれました。あの光景を見たとき、幼少時代から今までの耕介の姿が走馬灯のようによみがえり、あふれる涙が止まりませんでした。私が見た光景は、天国の主人へのお土産になるでしょう。
 
心して読まなければならない本の1冊である。