ニラニスタ発・蹴球思案処

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第41回武田の里サッカーフェスティバル 高校の部

第41回武田の里サッカーフェスティバル 高校の部

 

結果

7月16日 土 予選リーグ

韮 崎 2-0 清水東

 

7月17日 日 予選リーグ

韮 崎 0-1 浦和西

韮 崎 1-0 実践学園

 

7月18日 月 2位リーグ

韮 崎 2-1 三浦学園

韮 崎 0-2 正智深谷

 

 

7月16日 土 予選リーグ

韮 崎U-17 4-0 四日市中央工

 

7月17日 日 予選リーグ

韮 崎U-17 3-0 三浦学園

韮 崎U-17 3-1 習志野

 

7月18日 月 1位リーグ

韮 崎U-17 1-0 実践学園

韮 崎U-17 1-0 山梨学院

 

他の参加校、八千代、暁星、都市大塩尻藤枝明誠、古河第一、韮崎工業。

 

1チームコロナの影響で不参加となり、韮崎U-17が急遽、出場することになった。優勝は韮崎U-17。U-16大会なので、当然と言えば当然なのだけれど、何とかプライドを保つことができた。さすがU-17である。欲を言えば、無失点で全試合を終えたかった。

夏の大会は暑い。辛口に言えば、暑い中でモチベーションを上げて試合に挑むことは、高校生では難しいことだとは思わない。より高いレベルでは、モチベーションという言葉は使わない。やる気のあるのは当たり前だからである。県外のチームと対戦する良い機会であり、自分の現在地を確認できる試合にモチベーションが低いことはあり得ない。

 

結果や得点はそれほど重要ではなく、自分自身のプレーの質と内容が重要であると思う。楽な時は誰でもできる。苦しい時に何ができるかが、成長の時であり、試されている時である。ストロングポイントを最大限に生かすのはそこであり、歯を食いしばって体を張るのも、そこである。

監督や仲間に言われるのではなく、自分で自分を奮い立たせ、アクションを起こすことを、苦しい時間にやれることができれば、チームに不可欠な選手となる。信頼される選手はそういった局面で活躍をし、良いプレーをするものである。常に準備を怠らない選手が、少ないチャンスを生かすことができるのではないかと思う。

 

客観的に自分を分析することも必要なスキルである。何ができて、何ができないか。弱い自分をどのようにして、強い自分に変えていくか。そのためには何をして、何をしてはいけないのか。誘惑と妥協に決別し、優先順位の高いものに気持ちを向けなければならない。そのような自発的行為は、試合中に絶対に生きてくる。言われたことをするだけの選手では、その先はない。

 

夢の実現や、目標に向かって突き進む志と覚悟は、誰もが持っていると思っている。その想いをどれだけ具現化できるかが、選手には求められる。口で言うことは容易い。行動で示すことは難しい。口先だけの選手には、絶対にならないことに期待をしている。

 

 

サッカーの世界で一番重要なのは

今までのキャリヤや貢献度を

誇らしげに自慢するのではなく

これから何をすべきかを考えることである

シモーネ・ペロッタ

 

 

 

ユースリーグ 4部・5部

ユースリーグ 4部・5部

 

結果

4部リーグ

7月17日 土 9:00キックオフ 韮崎工G

韮 崎B 11-0 甲府

 

5部リーグ

7月17日 土 16:45キックオフ 山梨学院和戸G

韮 崎C 25-0 甲斐清和

 

トップチームのモヤモヤ感が吹き飛ぶ、相手を圧倒するスコアだった。2桁スコアはやろうと思ってもなかなかできないものである。気持ちはもちろん、技術と戦術が伴っていなければ、10点を獲ることはそう簡単にできるものではない。Cチームの25得点は、驚異的なスコアである。

B、Cチームで活躍した選手が、すぐにでもトップチームに上がってくることを期待する。韮高は県総体、インターハイで負けている。そのメンバーで選手権で勝つには限界がある。やはり選手の入れ替えは、チームを活性化するだけではなく、チームを強くする。慢心と油断がなくなり、常に緊張感のあるチームの雰囲気を作り出す。

スタメンとサブだけでは勝つことはできない。チーム全体の底上げがあってこそ、強いチームとなる。一生懸命にプレーする選手、手を抜かず努力する選手、最後まで諦めないでプレーをする選手が、評価されないチームは、正常に機能していない組織である。

サッカーの世界では競争原理が効率的に働いた方が、より良いチームとなり、よい結果をもたらす。B、Cチームに甘んじている選手は、各ポジションで「結果を出し続ける」ことである。見ている人は分かるというのではなく、誰が見ても分かる動き(勝利への貢献)をすることによって、トップで活躍できる選手となる。間違ってはいけないことは、トップチームに入ることではなく、試合に出て活躍することである。

夏休みに入りそこで成長し、秋からの選手権に新しい選手を目にする事を期待する。1年生、2年生の急激な成長は驚くべきことではない。がむしゃらにがんばることは、危険である。努力やがんばりは正しい方角へ向かってこそ意味がある。走りやボールコントロール、ドリブルも正しい方向へ向かってこそ意味があるので、努力やがんばりもその質が求められる。

4部、5部リーグ共に大勝した。これで満足している選手は、おそらくいないはずである。負けた試合での反省は誰でもできる。その一方で勝った試合の中に問題点、課題点を見つけるのはとても難しい。もっと良いプレーができると思えば、修正点はたくさん出てくるような気がする。貪欲にサッカーを突き詰めて欲しい。

 

 

 

ルーキーリーグ 韮 崎-山梨学院

ルーキーリーグ 韮 崎-山梨学院

 

結果

7月16日 土 9:00キックオフ 御勅使G

韮 崎 1-4(0-1)山梨学院

 

ルーキーリーグの試合を始めて観戦した。前半しか見ることができなかった。7月に入って、横浜創英とのルーキーリーグは1-4(0-2)で負け、山梨学院との試合も1-4の同スコアでの敗戦となった。

スコアだけを見れば、韮高は暁星に0-1で敗れた。山梨学院は暁星に15-2で勝っている。韮崎-山梨学院とのスコア1-4だったので、善戦したといったところだろうか。

Bリーグの首位は全勝で突き進む山梨学院、勝ち点15。最下位は全敗の韮高、勝ち点0である。全敗街道まっしぐらである。

情けなさと悲しさが残る結果が続く。冷静に考えて、現在の実力が反映されたものであることは疑いようはない。大量複数失点での敗戦は、チームとして組織的守備が機能していないのか、後半に失点を重ねるということは、単なる集中力の欠如なのか、試合を諦めてしまっているのか、選手個々のモチベーションの低下からくる負のスパイラルが招く失点なのか、複雑である。相手が良いわけではなく、自分たちの問題でやられているのは、傷口が深い。

明らかなのは、苦しい時に踏ん張れることのできる選手が少ない事、やらなければいけない時に力を発揮できないこと、悪い流れをもう一度良い流れへと変えてやるという気持ちの熱い選手がいないことである。

先制点を許せば、ズルズルと流れるままに試合をして、先制をすれば気持ちが上向いているような試合をするようならば、小学生と一緒である。相手より技術で劣るなら、頭を使うしかない。考える頭もなかったら、走るしかない。走る事も出来なかったら、せめて闘う気持ちだけは前面に押し出したい。

コロナの影響なのか、試合にビビっているのか、大きな声を出す選手は見ることができず、ファイタータイプの選手も見当たらなかった。どこかおとなしく、勝っているのか負けているのかさえ判断がつきにくいプレーであった。

劣等感やくやしさをバネにプレーをすることは、時に必要である。なぜならばへたくそだからである。今よりも強く、上手くなるためには、変なプライドや美意識を棄てて、がむしゃらに泥臭くボールに喰らいつくプレーが求められる。「セカンドボールを拾おう」ではなく、「セカンドボールは俺のものだ」くらいの気持ちや、明日から試合ができない(現実にコロナでそうなるかもしれない)という切迫感で試合に臨まなければ、ただ試合をやっているだけになってしまう。

苦しさを乗り越えた先にあるものを考えたならば、その先にある喜びを味わいたいのならば、苦しまなければならない。サッカーを愉しめということは、苦しむ自分を愉しめということでもある。

 

 

 

サッカーを「みる」

サッカーを「みる」

 

サッカー観戦、サッカー応援は、コロナの影響を受け全世界で制限がかけられ、以前のようなスタイルに未だ戻っていない。Jリーグではルールを無視して赤いチームのサポーターが暴走した。Jリーグに限らず、アマチュアレベルでも度を越した応援風景を目にする事がある。

 

現在、サッカー(スポーツ)との関わり方として、自らがプレーするよりも、「みる」という立場の方が圧倒的に多い。サッカーが日本でも認知され、知名度を上げてきたことに比例して、選手のプレーレベルも上がっている。日本代表は欧州で活躍する選手が100%に近くなってきていることからも、日本のサッカーレベルは上がっている。

その一方で、「みる」立場としてのレベルは、「する」側ほどに上がっていない。心無いサポーターから、バカ親まで、目を覆いたくなるような情景がある。残念なことに、子供には見せてはいけない悪い手本になっている親もいる。サッカーを支える側として、使命とまではいかないまでも、その役割を意識することは大切であると思う。

 

「子どものサッカーに関わる大人の皆さんへ」という冊子が日本サッカー協会から出ている。協会のHPからもダウンロードできるので、小学生から高校までの子どもを持つ親は一読を勧めたい。とは言うものの、読んでもらいたい親に限って読むことはなく、読む必要のない良識ある親が読むという人の世が存在する。

ジュニア、ジュニアユース、ユースにおける各チームで、親の観戦マナーを啓蒙しているチームは少なくない。応援する保護者が成長することは、選手を後押しする。デンマークのサッカー協会の保護者向けの10か条は誰でも一度は目にしたことがあるくらい有名である。

 

JFA発行の冊子に載っている、スイスサッカー協会のパパへの手紙も、子供のサポートを勘違いしている親には読むことを薦める内容である。

近代スポーツが選手(見られる側)と観戦(見る側)の分離を生み出したと言われるが、そのどちらもスポーツとのかかわり方であり、それらはスポーツ文化を「支える」行為として欠かせない。しかし、スポーツを「する」ことの教育や指導はされても、「みる」こと、すなわちスポーツの観戦力に関しては、「する」ことを通して付随的に養われるものとして扱われ、体系立った指導はされていない。音楽教育でその柱として「鑑賞の能力」を理論として学ぶ学習が求められているのと同じように、体育もスポーツの鑑賞力を養う場として教室で行う体育理論の授業が位置づけられる必要がある。それにより、たとえ自分でプレイできなくとも、スポーツの鑑賞力を身につけると、「みる」立場もスポーツを支える重要な存在であることを知る。

 

子どもが日々成長しているのと同じように、保護者も「見る」レベルを上げることが求められる。なおかつ成長の速度を上げることも求められる。そうすれば、子供が所属するチームの質も向上し、日本のサッカーのレベルもランクアップへとつながっていく。世界のサッカーに追いつくには、サッカーを「する」現場だけでは、絶対に無理である。

 

 

『フットボールの原点』

サッカー本 0097

 

フットボールの原点』



著 者 吉田文久

発行所 創文企画

2014年1月8日発行

 

前出の『オフサイドはなぜ反則か』の著者中村敏雄氏から助言を受け、民族フットボールへの研究に目覚め、この本が書かれた。文献を基にした研究本ではなく、実際に行われている民族フットボールを現地に行って目にした考察が著されている。

 

欧米からサッカーの技術や戦術、戦略や作戦を優先して学ぶことは、サッカーの上部だけをなぞっているだけであり、サッカーに限らず文明開化以後、その必要性からそれ自体の意味や価値を問う視点や方法をないがしろにしてきた。欧米文化だから先進文化であるはずだと考えて、何でもかんでも受け入れることを改めて、奥深く掘り下げることが必要である。と本書の中で訴えている。

 

スポーツの語源や理解を欠いてスポーツを移入することの落とし穴は、ゲームのプレイ方法としてルールを翻訳するのにとどまり、ルールに込められた精神まで読み取る作業を怠ることである。

 

勝ち負けを超えて、サッカーのもつ豊かな文化的世界を受け止め、サッカーのおもしろさを十分に享受するところまでたどりついたとは言い難い。それはサッカーが有する歴史的、社会的、文化的価値に豊かな内容を研究レベルで整理されたものは示されず、またその文化的価値を位置づけた指導者教育が進んでいないということである。

 

中世から行われていた民族フットボールを研究するこの本は、現代サッカーを受け入れ、理解することの手助けになる。アソシエーション・フットボールになる過程は多くの文献と資料がある中で、その原点を探る本は少ない。根源的な意味で、ルールとか表面的な部分ではない、精神性だとかサッカー(=フットボール)の源流を知ることの重要性に気づかされる。サッカーそのものをより一層理解し探究することで、サッカーを受け継ぎ、伝える存在となることの「後代的視点」までもを考えさせられる本である。

 

 

 

本書に出てくるイングランドのアッシュボーンで行われている民族フットボールの映像がある。この土地は2003年にチャールズ皇太子が始球式を行ったことで、多くの関心が集まっている。

YouTubeの映像は今年、2022年に行われた民族フットボールである。


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