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裏ベスト11

裏ベスト11

 

高校サッカーダイジェスト・選手名鑑』に誇れる記事が載っていた。第100回全国高校サッカー選手権大会 [特別企画] 裏ベスト11。不出場組で厳選した“最強チーム”のサブメンバーに韮高のキャプテンでMFの佐藤寧峰選手が選出されていた。全国の舞台で多くの人に観てもらいたかった選手である。

神も時には間違うのか。学院の初戦敗退が間違った神の判断ならば、韮高が山梨県代表になれなかったことも、神の間違ってしまった判断かもしれない。・・・と今更ながらに思う。そして今更ながらにくやしい。

佐藤寧峰選手は大学でもサッカーを続けると聞いたので、次のステージでも全力でサッカーを突き詰めて欲しい。

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サッカーダイジェスト』では、「高校サッカー選手権100年史」の特集があった。その中で「識者が選ぶ高校選手権歴代ベストイレブン」があり、韮高の選手も選出されていた。サッカージャーナリスト後藤健生氏は、FWに羽中田昌を選んだ。スポーツライター小宮良之氏は、MFに中田英寿を選出。参加校4000校を超える選手権大会の歴代ベストイレブンに韮高から2名も選ばれることは誇らしい。

 

サッカーマガジン』では、「高校選手権クロニクル」特集があった。「全国高校サッカー選手権大会 ヒーローカタログ1976-2021」では、韮高の選手は4名リストアップされていた。滝田修、羽中田昌、保坂孝、中田英寿である。全国区で永遠に語り継がれるであろう選手の中に、韮高の選手が選ばれていることは、光栄である。

「年代別ベスト11」では、1980年代ベスト11の中に右サイドバック山本健二がただ1名選出されている。

「大会別ベスト11」では、58回大会で滝田修、60回大会で羽中田昌、大柴剛、小林慎二、61回大会では保坂孝、62回大会で山本健二が選ばれている。

 

令和の時代になり、韮高の新しい歴史は創られるのだろうか。間違いなく新しい歴史が創られる。全国の舞台グリーンのユニホームが登場する日はそう遠くはない。新しいチームは創部100年目のチームである。ナンバーWebに取り上げられた記事は、明るい未来を確信できる記事である。藤枝東、武南より先に、韮高を取り上げてくれることがとてもうれしい。

number.bunshun.jp

駄菓子屋は池田屋か。

 

 

 

新国立競技場 選手権決勝2

新国立競技場 選手権決勝2

 

新国立競技場は、高校サッカーの聖地となりえるのだろうか。100回大会を境に、昔ほど目指す価値は薄れていくのか。過去の高校サッカー選手権においては、選手なら1度はピッチに立ってみたい憧れのスタジアムだった。合言葉は「めざせ国立」だった。

国立競技場の厳かな雰囲気は、新国立競技場に受け継がれているのだろうか。新しいスタジアムをキックオフ前に逍遥した。

観客席の1層目と2層目の間に、場内を1周する電光掲示板、リボンボードが目に入った。第1回大会から99回大会までの優勝校がゆっくりと動いていた。

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スタジアムを1周。メイン、バック、ゴール裏の最上部へ行き、最前列に行き、新国立の雰囲気を味わった。外観は世界中で1つしかないスタジアムに見える。スタジアム内は残念ながら、どこにでもある没個性的な感じが否めなかった。アウェイゴール裏の入口は何とかならないものか。ゴール裏の雰囲気が全滅である。

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バックスタンド最上部に掲げられた旗。新国立はオリンピック終了後に球技専用にする計画を撤回し、陸上競技もできる現在の姿のままになってしまった。日本サッカー協会は、日本代表戦はサッカー専用でないと開催しないとしているので、ここで代表の試合を観ることは永遠にないだろう。横浜国際スタジアムもあるし、ここでやる価値はそれほどない。負のレガシーと呼ばれるようなことにはなって欲しくはない。新国立は、天皇杯と選手権だけは引き続き開催していくのだろうか。

 

記念すべき100回大会の入場アンセムは、FIFAアンセムではなく、天皇杯のアンセムだった。天皇杯のアンセムは正式には「日本サッカーの歌」であるけれど、天皇杯のイメージが強烈である。高校サッカーとはちょっと結び付かなくて混乱してしまった。勝手に入場はチャチャカチャッチャチャーチャチャチャーが良くて、表彰式にはラーラーラーラーーラーラーラーーラーララララーの方が好みである。

 

試合開始前の審判の紹介で、主審が御厨だったので驚いてしまった。10年以上前のVF甲府の選手で、Jリーガー初の審判となった人物である。

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試合開始前の校歌斉唱では、なぜか場内観客全員に起立が求められた。8年前の決勝、星稜-富山一の試合では、富山一の校歌斉唱前に多くの観客(おそらく母校の卒業生)が次々と立ち上がり、校歌を斉唱していたのが記憶に残っていた。今回は厳粛な進行だった。

応援していた大津は準優勝だった。話は前後するけれど、ピッチに立てない青森山田の部員が応援バスから降りて、スタジアムに向かっている時にちょうど一緒になった。チャラチャラしていると思っていたので、想像していたよりずっと立派だった。高校生らしいしっかりとした振る舞いだったし、集団行動の見本となる集団だった。韮高や学院の部員とは質が違っていて、青森山田の強さがそこからもにじみ出ていたように思えた。素直に青森山田は強いと認めてしまっても不思議ではない。

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節目の100回大会が終わった。キャッチフレーズにある通り、「明日へ、そして未来へ」である。

 

 

新国立競技場 選手権決勝

新国立競技場 選手権決勝

 

全国高校サッカー選手権が第92大会(2013)以来、8年ぶりに新国立競技場に戻ってきた。東京オリンピック開催のために、国立競技場は新国立競技場に生まれ変わった。埼玉スタジアムは文句のつけようのない素晴らしいサッカースタジアムであるけれど、前回大会までは1、2回戦で使われていただけに、準決勝決勝の舞台としては、個人的にはしっくりこなかった。

姿かたちのなくなってしまった国立競技場を懐かしみ、深く記憶に刻まれている人はたくさんいると思う。僕もその1人で、昔の国立競技場は国立競技場で、現在の国立競技場は新国立競技場といった言葉分けになってしまう。

 

新国立競技場に国立競技場の面影を求め、試合前に逍遥した。

国立競技場と言えば、「1番に思い浮かぶものは何か」という問いに対しては、メインスタンドにある「2つの壁画」であると答える人が多数であると思う。2つの壁画は国立競技場の唯一無二のシンボルだった。1つは「野見宿禰像」、もう1つは「ギリシャの女神像」である。僕は昔から国立競技場へ足を運んだのがきっかけで、「野見宿禰像」が好きになり、『日本書紀』などから野見宿禰について見識を広めた。今では野見宿禰は、日本のサッカーの神様であったと思っている。新国立競技場の青山門に保存されていて、間近で見てきた。その近くには聖火台もひっそりと鎮座している。

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僕は国立競技場のバックスタンドから眺める新宿ビル群が好きだった。10代、20代、30代、40代と、そこから眺める新宿のビル群が新しく増えていくビルの光景が好きだった。屋根に覆われた新国立競技場から昔の光景がどのように見えるだろうかと思っていた。もちろん期待はしていないのだけれど、バックスタンド最上部から眺めてみた。

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メインスタンド最上部から新宿ビル群を眺めることができた。

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国立競技場の最上部にはためいていた高校サッカー旗の光景は見ることはもちろんできず、屋根に覆われた新国立競技場からは、毎年の恒例であるキックオフ前のヘリコプターが確認できるだけだった。これからは屋根の上に新しい未来が開けている。

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春、夏、秋、国立競技場に足を運んだ。冬の季節の国立競技場は、選手権の想い出しかない。座っていると寒さがしみてきて、足の先から冷たくなり、風の強い日には容赦なく冷たい風にあたりながら、サッカーを観戦した。試合が終わって青山門から出て、国立競技場を振り返ってみるのが好きだった。試合の余韻と深いため息と、良く分からない悔しさと、ほんの少しずつ湧き上がってくる希望が、複雑に入り混じる瞬間である。1月になってちょっとずつ日が長くなる夕暮れ時は、今も昔も変わらなかった。

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隈研吾設計の新国立競技場の将来は、どのようになるのだろうと思う。新国立競技場とサッカーはこれからどのような関係を築くのだろう。注意深く、興味深くその関係性を見守りたい。

 

 

チームワーク

チームワーク

 

第100回高校サッカー選手権大会が終わった。出場している選手だけでなく、スタンドにいる部員も含め、チームとして1つになっていた高校がしっかりとした結果を残したのではないかと思った。そして指導スタッフ、保護者の関り方が、プラスαの力を生んだ。個人的には、チーム、組織について学ぶ機会が多い大会だった。

 

チームワークとはチーム全員がある目標に向かって必ずやりとげるという共通の精神を持つことであり、ただ観念的に持つというだけでなく、その意味を認識し理解し、しかも心から共感して信奉し、自分から積極的に協同行動を行うまでに昴揚されたものを持つとき、チームワークは完成する。またチームは各プレーヤーに共通精神を持って協同行動をとることを自然のうちに強要する。人間の精神というものは、各人がこうした共通精神と目標を持った協同行動に自ら参加し活動するときに成長するものなのである。

 

指導者が導き、選手が気付き、1つにまとまり、大きな力となった時にチームが機能するように思う。こういた精神を持つことが社会に出た時に、スポーツをしてきた者が強みとして誇れるような気がする。

自分のストロングポイントが活かせるのは、周りの選手がいて初めて活かされるのであり、自分1人では何もできない。見えない力が積み重なって初めてゴールが生まれるし、ゴールを許さないプレーにつながっている。

 

山梨学院が初戦で敗退したのもそこが原因であり、青森山田が優勝したのもそこを基盤として積み上げたからだと思っている。そう考えるとサッカーは難しい。勝利はピッチに立った選手だけのものではなく、チームだけのものでもない。101回大会に向けて、全国の高校がスタートをしている。チームの中の1人の選手として、どのような心持でトレーニングに取り組み、仲間と関わるのかを考えることが、試合中のプレーに如実に現れる。何も考えないでがむしゃらにサッカーをする時代は、とっくに終焉している。そして現在のスタートにおいて、誰もリードしている訳ではなく、誰も遅れをとっている訳ではない。スタートが遅れていると思っている選手がいたら、それは自分自身の問題である。スタート地点は一緒であり、自由で厳しい競争を勝ち抜いた選手がピッチに立てる。何が起こるか予測がしにくいサッカーである。頭角を現す選手が出てきても何も不思議ではない。部員全員にチャンスは平等にある。

 

 

新国立決勝前のこと

新国立決勝前のこと

 

理由もなく?なぜか?必然的に?衝動的に?第100回大会全国高校サッカー選手権大会の決勝を観戦してきた。今大会から新国立が決勝の舞台となったことが引き付ける1番の要因だったように思う。100回大会の記念は記念なので、純粋に愉しむことである。100回大会を記念する特別展が開催されていて、飛びついて食い入るように見てしまった。

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メッセージボール展では、過去の選手権を語るにはこれは外せないだろう貴重なボールを見つけた。

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ザ・パーズの『ふり向くな 君は美しい』の大会歌は昭和、平成を駆け抜けた。令和の時代はどうなるのだろうと気になる。

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韮高OBの羽中田さんのメッセージボールは輝きを放っていた。

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101回大会の山梨県代表は韮崎高校です。

 

首都圏開催からのパネル展もあった。その時代、時代の日本代表に名を連ねた選手の高校時代の選手権での姿があった。

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1枚の写真で立ち止まって、しばらく動きが止まってしまった写真があった。あまりにもじっくりと見入っていたために、気が付くと後ろにかなりの長い列ができていた。後にも先にもこの時しかない衝撃的な1枚だった。

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第58回大会選手権大会決勝、帝京-韮崎の試合終了後は、大勢の観客が国立のピッチに飛び降りた。震えながら観戦していて体が冷え切っていたので、2メートルも下のピッチに飛び降りた多くの人が怪我をしたことはあんまり触れられていない。優勝した帝京の選手はまだうれし迷惑だったけれど、4失点もして敗れた韮高の選手は、忘れることのできない敗戦後だったと思う。

そういえば、「試合終了後にピッチに入ることは禁止されています」というスタジアムのアナウンスが、いつの頃からかなくなってしまった。

古い電光掲示板にはNIRASAKI(GREEN)が確認できる。高校サッカー選手権大会史に残る貴重な1枚である。

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川添に決められたシュート。今年で韮高を退任する石川晃さんの姿がある。高校時代はかっこよかった(今も?)。100回大会になんとしても連れて行ってやりたい1人だった。

第60回大会 韮崎-武南

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第61回大会 韮崎-清水東

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第72回大会の顔となっていた中田英寿

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勝戦を前に、時間を忘れて過去に引き戻されてしまった。

日本のサッカーがさらに強くなるために、または高校サッカーが生き残りをかけて、大きく変化を余儀なくされる時代が到来している。100回大会は、大会そのものの開催と言うよりも、過去を振り返り、今後を見据える貴重な節目だったように思う。

Jユースクラブの急激な成長、それに伴う高校サッカーからの選手流出。私学と公立の広がる格差、郷土意識はもはや高校サッカーには芽生えないのではないかと思えるスカウティング。地元出身の選手がいない県代表。

第55回大会からの首都圏開催が大きな高校サッカーの転換期であったように、高校サッカーの社会的役割や将来の日本代表を輩出する目的意識の再考が、加速度的な時代の流れと共に、選手権大会という大会そのものに迫っているように思う。